ヨハネ11:17-37 復活でありいのち
マルタとイエスの対話(11:17-22)
イエスがベタニアへ到着された時、
「ラザロはすでに四日間墓の中にいた。」
と記されています。
ユダヤ人の考えでは、四日も経てば死は完全に確定した状態でした。
人間的には、もはや希望は残されていません。
マルタはイエスが来られたことを聞くと、すぐに出迎えます。
そして言いました。
「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」
この言葉には悲しみと信仰の両方が含まれています。
彼女は主の力を信じていました。
しかし同時に、
「もう遅すぎる」
とも感じていたのです。
それでも彼女は続けて、
「今でも、神はあなたがお求めになることは何でも与えてくださることを知っています。」
と語ります。
絶望の中でも、まだ主への期待を失ってはいませんでした。
「あなたの兄弟はよみがえります」(11:23-27)
そこでイエスは言われます。
「あなたの兄弟はよみがえります。」
マルタは答えます。
「終わりの日の復活の時によみがえることは知っています。」
彼女は旧約聖書の教える復活信仰を持っていました。
しかしイエスは、その理解をさらに深められます。
「わたしは復活であり、いのちです。」
これはヨハネ福音書の最も重要な「わたしは~です(エゴ―・エイミ)」の宣言の一つです。
主は、
「わたしが復活を与える」
とは言われませんでした。
「わたしが復活である。」
と言われたのです。
復活は単なる未来の出来事ではありません。
キリストご自身の内にある現実なのです。
さらに主は約束されます。
「わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」
「また、生きていてわたしを信じる者は決して死ぬことがありません。」
ここで主は肉体の死を否定しているのではありません。
信じる者は死によって神との関係を失わないことを語っておられるのです。
そしてマルタに尋ねられます。
「あなたはこのことを信じますか。」
するとマルタは力強く告白します。
「はい、主よ。」
「私は、あなたが世に来られる神の子キリストであると信じております。」
これはヨハネ福音書の中でも最高レベルの信仰告白の一つです。
マリアの涙(11:28-32)
マルタは家へ戻り、妹マリアを呼びます。
するとマリアも急いでイエスのもとへ向かいました。
そして主の足もとにひれ伏して言います。
「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」
マルタと全く同じ言葉です。
姉妹は同じ悲しみを抱えていました。
しかしその表現の仕方は異なります。
マルタは対話し、マリアは涙を流しました。
主はその両方を受け止めておられます。
イエスの涙(11:33-37)
マリアが泣き、一緒に来た人々も泣いているのをご覧になった時、
「イエスは霊の憤りを覚え、心を騒がされた。」
とあります。
そして、
「彼はどこに置きましたか。」
と尋ねられます。
人々が、
「来てご覧ください。」
と言うと、
聖書の中で最も短い節が記されます。
「イエスは涙を流された。」
主はこれからラザロをよみがえらせることをご存じでした。
それでも泣かれました。
なぜなら主は単なる傍観者ではないからです。
罪と死によって傷ついた人間の悲しみを、ご自身の悲しみとして感じておられたのです。
人々は言います。
「ご覧なさい。どんなにラザロを愛しておられたことか。」
しかし別の人々は、
「盲人の目を開けたこの人が、ラザロを死なせないようにできなかったのか。」
と疑いました。
人々にはまだ神の計画が見えていませんでした。
しかし主は今まさに、死そのものに立ち向かおうとしておられたのです。
復活の前に語られた真理
この箇所の中心はラザロではありません。
また死そのものでもありません。
中心はイエスの宣言です。
「わたしは復活であり、いのちです。」
これまで主は、
- いのちのパン
- 世の光
- 羊の門
- 良い牧者
と語ってこられました。
そしてここでは、
死に対する最終的な勝利者
としてご自身を示されます。
ラザロの復活は、その真理を目に見える形で証明する出来事となるのです。
この箇所が私たちに語ること
私たちは死や別れの前で無力さを感じます。
しかしイエスは墓の前で、
「わたしは復活であり、いのちです。」
と宣言されました。
キリスト者の希望は、
死がないことではありません。
死よりも強い主がおられることです。
また主は涙を流されました。
それは私たちの悲しみを理解しておられることを示しています。
イエスは痛みに無関心な神ではありません。
私たちと共に涙しながら、なお復活の希望を与えてくださる救い主なのです。
この箇所の中心メッセージ
イエスは悲しむマルタとマリアに対して、「わたしは復活であり、いのちです」と宣言された。
主は死に打ち勝つ力を持つだけでなく、死に苦しむ者と共に涙してくださるお方でもある。
信じる者の希望は死を越えて続く命にあり、その命の源はキリストご自身なのである。
「わたしは復活であり、いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)

