ヨハネ20:30-31 福音書の目的
ヨハネ福音書の結論(20:30)
トマスの
「わが主、わが神よ。」
という偉大な信仰告白の後、ヨハネは読者へ直接語りかけます。
「イエスはこの書に書かれていない、ほかの多くのしるしを弟子たちの前で行われた。」
ここでヨハネは、自分がすべてを書いたわけではないことを認めています。
イエスの働きは、福音書に収められた以上にはるかに豊かでした。
実際、21:25では、
「世界もその書かれた書物を収めきれない」
とまで語られます。
つまりヨハネ福音書は、イエスの生涯の完全な記録ではありません。
意図的に選ばれた証言なのです。
なぜ七つのしるしが選ばれたのか
ヨハネは多くの奇跡の中から、特定の出来事を選びました。
代表的には、
- 水をぶどう酒に変える
- 王室の役人の息子を癒す
- ベテスダの病人を癒す
- 五千人を養う
- 湖の上を歩く
- 生まれつきの盲人を癒す
- ラザロをよみがえらせる
などです。
ヨハネはこれらを単なる奇跡とは呼ばず、
「しるし」
と呼びます。
しるしは自分自身を指し示すのではなく、その先にある真理を指し示します。
つまり奇跡そのものよりも、
「イエスとは誰なのか」
を示すために記されているのです。
「これらのことが書かれたのは」(20:31)
そしてヨハネは福音書執筆の目的を明確に語ります。
「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであると、あなたがたが信じるためであり。」
ここにヨハネ福音書全体の目的があります。
ヨハネは単なる歴史家ではありません。
もちろん歴史を書いています。
しかし目的は情報提供だけではありません。
信仰へ導くことです。
彼は読者に、「イエスとは誰か」を問いかけています。
そしてその答えは、「神の子キリスト」です。
神の子キリスト
この短い表現には二つの重要な称号があります。
① キリスト
「キリスト」は「油注がれた者」という意味です。
つまり、
- 約束されたメシア
- 救い主
- 王
を意味します。
ヨハネは、イエスこそ旧約で待ち望まれていたメシアだと言っています。
② 神の子
ヨハネ福音書では、この称号は単なる特別な人という意味ではありません。
イエスは、
父と一つであり
父を完全に現す方であり
世界の始まりから存在する御子
として描かれています。
つまり、
イエスは真の神である
という告白です。
トマスの
「わが主、わが神よ。」
という告白が直前に置かれているのも、そのためです。
信じて命を得るため
ヨハネはさらに言います。
「また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」
ここで信仰はゴールではありません。
信仰は命へ至る入口です。
そしてその命とは、17:3で語られた「永遠のいのち」です。
ヨハネは福音書全体を通して、信仰と命を結び付けています。
例えば、
「御子を信じる者は永遠のいのちを持つ。」 (ヨハネ3:36)
「わたしを信じる者は、死んでも生きる。」 (ヨハネ11:25)
と語られてきました。
そのテーマがここで総括されているのです。
ヨハネ福音書全体の要約
実は20:31は、ヨハネ福音書全体の要約と言えます。
1章
「ことばは神であった」
2~12章
しるしによってイエスが誰かを示す
13~17章
弟子たちへの最後の教え
18~19章
十字架による救いの完成
20章
復活による勝利
そして結論として、
「イエスは神の子キリストである。」
「信じて命を得なさい。」
となるのです。
この箇所が私たちに語ること
私たちは聖書を読む時、知識を増やすことが目的になってしまうことがあります。
しかしヨハネの目的は、単なる知識ではありません。
「信じるため」です。
また信じることの目的は、宗教的な所属を得ることでもありません。
「命を得るため」です。
ヨハネは読者一人ひとりに問いかけています。
「あなたはイエスを誰だと思うか。」
そして、
「イエスは神の子キリストである」
と信じる者に、永遠のいのちが与えられると証言しているのです。
この箇所の中心メッセージ
ヨハネは、多くのしるしの中から必要なものを選んで福音書を書いた。
その目的は、読者がイエスを神の子キリストと信じ、信じることによって永遠のいのちを得るためである。
ヨハネ福音書全体は、イエスが誰であるかを示し、人々を信仰と命へ導くための証言なのである。
「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであると、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」(ヨハネ20:31)

