レビ記16章 贖いの日 ── 一年に一度の罪の清め(16:1-34)
レビ記16章は、レビ記全体の中心とも言える重要な章です。
レビ記1章から15章まで、神はさまざまないけにえや清めの規定を与えられました。
しかしどれほど規定が与えられても、人は罪を犯し続けます。
また、一年を通して共同体にはさまざまな汚れが積み重なっていきました。
そこで神は、一年に一度行われる特別な日を定められます。
それが「贖いの日(ヨム・キプール)」です。
この日はイスラエル全体の罪と汚れが神の前で清められる日でした。
レビ記16章の中心は、神ご自身が罪人のために贖いの道を備えてくださるということです。
背景
レビ記10章ではナダブとアビフが主の前で異なる火を献げ、裁きを受けました。
その出来事が16章の冒頭で改めて言及されます。
神の聖さは軽々しく近づけるものではありません。
そのため至聖所には、誰でも自由に入ることはできませんでした。
大祭司でさえ、一年に一度だけ、神が定められた方法によって入ることが許されたのです。
1. 大祭司だけが至聖所へ入る(16:1-10)
神はアロンに命じられます。
契約の箱の上にある贖いの蓋の前へは、好きな時に入ってはなりません。
そこには神の臨在が現れていたからです。
アロンはまず身を洗い、特別な亜麻布の衣を着ます。
そして、
- 自分のための雄牛
- 民のための二頭の雄山羊
を準備します。
二頭の山羊についてはくじが引かれます。
一頭は主のために献げられ、もう一頭は後に「アザゼルの山羊」となります。
ここで既に、罪の処理が二つの方向で描かれています。
罪のための犠牲と、罪の除去です。
2. 大祭司自身のための贖い(16:11-14)
まずアロンは自分自身のための雄牛を献げます。
これは非常に重要です。
大祭司もまた罪人だったからです。
彼は自分の罪の贖いなしに神の前へ出ることはできませんでした。
血は至聖所へ持ち込まれ、贖いの蓋の前に振りかけられます。
さらに香がたかれ、雲が贖いの蓋を覆います。
こうして大祭司は神の臨在の前へ進むことが許されるのです。
3. 民のための贖い(16:15-19)
次に民のための山羊が献げられます。
その血も至聖所へ持ち込まれます。
これはイスラエルの民全体の罪と汚れのための贖いでした。
贖いの日は個人だけではなく、共同体全体のための日です。
また幕屋そのものも清められました。
神の民の罪によって、礼拝の場にも汚れが及ぶと考えられていたからです。
神はご自身の民だけでなく、ご自身の住まいをも清められるのです。
4. アザゼルの山羊(16:20-22)
贖いの日を象徴する最も有名な場面です。
大祭司は生きた山羊の頭に両手を置き、イスラエルの罪を告白します。
その後、その山羊は荒野へ送り出されます。
ここで山羊は民の罪を負って去って行く存在となります。
これは、罪は赦されるだけではなく、取り除かれるということを表しています。
神は罪を一時的に覆うだけではなく、民から遠ざけることを示しておられるのです。
これは後にキリストが担われる救いを美しく予表しています。
5. 民全体のへりくだり(16:23-31)
贖いの日には民全体が身を低くしなければなりませんでした。
仕事をやめ、神の前で自らを省みる日となります。
救いは人間の努力によるものではありません。
この日、民は何かを成し遂げるのではなく、神が行われる贖いに依り頼んだのです。
ここに信仰の本質があります。
6. 永遠の定め(16:32-34)
章の最後で、この日が毎年守られるよう命じられます。
大祭司は一年に一度、民のために贖いを行いました。
しかし翌年には再び同じ儀式が必要でした。
それは、この制度が完全な解決ではなかったことを示しています。
人々はより完全な贖いを待ち望んでいたのです。
この箇所が私たちに語ること
レビ記16章は、罪が神との関係における重大な問題であることを教えています。
神は愛のお方ですが、罪を軽く扱われません。
そのため贖いが必要でした。
また、この章は神ご自身が贖いの道を備えてくださることを教えています。
人は自分の努力によって罪を取り除くことができません。
神が備えてくださった犠牲によってのみ罪は赦されるのです。
さらに、この章はイエス・キリストをはっきりと指し示しています。
大祭司が至聖所へ入ったように、キリストは天の聖所へ入られました。
献げられた山羊のように、キリストは私たちの罪のためにご自身を献げられました。
またアザゼルの山羊のように、私たちの罪を負い去ってくださいました。
レビ記16章で毎年繰り返された贖いは、キリストによって一度限り完全に成し遂げられたのです。
この箇所の中心メッセージ
神は贖いの日を定め、イスラエル全体の罪と汚れのために清めの道を備えられた。
大祭司と二頭の山羊を通して、罪の赦しと罪の除去が象徴的に示された。
この贖いの日は、後に完全な大祭司であり完全な犠牲となられるイエス・キリストを指し示している。
「この日に、あなたがたのために贖いが行われる。あなたがたは主の前で、すべての罪から清められる。」(レビ記16:30)


