レビ記22章 祭司の務め ── 神にささげるものの清さ(22:1-33)

レビ記22章では、祭司たちが聖なるものをどのように扱うべきか、また神に献げるささげ物はどのようなものでなければならないかが語られます。

21章では祭司自身の聖さが取り上げられました。

続く22章では、祭司が扱うものの聖さに焦点が当てられます。

神は祭司たちに、ご自身にささげられたものを軽々しく扱わないよう命じられました。

この章の中心は、神は最善のものを受けるにふさわしいお方であるということです。

神の民は、神を敬う心をもって礼拝しなければなりませんでした。

背景

レビ記17章から22章までは、神の民の聖さについて語られてきました。

20章では民全体の聖さ、21章では祭司の聖さが強調されました。

22章では、祭司の奉仕やささげ物そのものに関する聖さが扱われます。

神は礼拝を重んじられます。

だからこそ、その礼拝に関わるすべてのものが聖なるものとして扱われなければならなかったのです。

1. 聖なるものを汚してはならない(22:1-9)

神はアロンとその子らに命じられます。

祭司が汚れた状態にある時は、聖なるものに近づいてはなりません。

たとえば、

  • ツァラアトがある場合
  • 漏出がある場合
  • 死人に触れた場合

などです。

祭司であっても例外ではありませんでした。

神の前では誰も特権によって聖くなるのではありません。

神が定められた方法によってのみ、聖なるものに仕えることができたのです。

ここには神の聖さへの深い敬意が求められています。

2. 聖なる食物を食べられる者(22:10-16)

続いて、祭司のためにささげられた聖なる食物について語られます。

それを食べることができるのは祭司の家族に限られていました。

一時的な雇い人や外部の人は食べることが許されませんでした。

もし誤って食べた場合には、その分を返し、さらに五分の一を加えて償わなければなりませんでした。

ここでも神は聖なるものと日常のものとの区別を教えておられます。

神に属するものは、神のものとして尊重されなければならなかったのです。

3. 傷のないささげ物(22:17-25)

章の中心となる部分です。

神は、全焼のささげ物や交わりのいけにえとして献げる動物は、「傷のないもの」でなければならないと命じられます。

盲目のもの、足が不自由なもの、傷のあるものなどは献げてはなりませんでした。

神は残り物や不要になったものを求めておられるのではありません。

最良のものを受けるにふさわしいお方だからです。

これは神が完璧主義だからではありません。

神をどれほど大切にしているかが、献げるものに表れるからです。

4. 神への真実な礼拝(22:26-30)

生まれたばかりの家畜は、すぐには献げてはなりませんでした。

また、母と子を同じ日にほふることも禁じられます。

さらに感謝のいけにえは、定められた方法で食べなければなりませんでした。

これらの規定は、単なる儀式的な細則ではありません。

神は礼拝を形式だけでなく、心を込めて行うことを望まれたのです。

礼拝とは、自分流ではなく神の方法に従うことでした。

5. 「わたしは主である」(22:31-33)

章の最後で神はこう言われます。

「あなたがたはわたしの命令を守り、これを行わなければならない。わたしは主である。」

さらに、「わたしはあなたがたを聖なる者とする主である。」と語られます。

ここに大切な真理があります。

イスラエルは自分の努力だけで聖くなるのではありません。

神が彼らを聖なる者として取り分けられたのです。

だからこそ、その恵みにふさわしく生きることが求められていました。

この箇所が私たちに語ること

レビ記22章は、神への礼拝は軽いものではないことを教えています。

神は愛のお方ですが、同時に聖なるお方でもあります。

そのため、神にささげられるものは神にふさわしいものでなければなりませんでした。

また、この章は神に最良のものをささげる姿勢を教えています。

現代の信仰者は動物のいけにえを献げません。

しかし時間、賜物、労力、財産、心の態度など、人生のあらゆる面において神に最善を献げるよう招かれています。

さらに、この章は神が私たちを聖なる者としてくださることを教えています。

神はまずイスラエルを救い出し、その後で聖さを求められました。

新約においても同じです。

私たちはキリストによって救われ、その恵みに応答して聖なる歩みへ招かれているのです。

この箇所の中心メッセージ

神は祭司たちに、聖なるものを敬い、ご自身に献げるものを清く保つよう命じられた。

神には傷のない最良のものが献げられるべきであり、礼拝は神を敬う心をもって行われなければならなかった。

神はご自身の民を聖なる者としてくださるお方であり、その恵みに応答する歩みを求めておられるのである。

「あなたがたはわたしの命令を守り、これを行わなければならない。わたしは主である。」(レビ記22:31)