申命記14章 聖なる民の生活 ── 神に属する者として(14:1-29)
申命記14章は、13章で語られた「信仰の純粋さ」を、日常生活の中でどのように具体化するかを教える章です。
13章では、偽預言者や偶像礼拝への誘惑に警戒するよう命じられました。
しかし神への忠実さは、礼拝の時だけに現れるものではありません。
食事やお金の使い方など、日々の生活そのものにも現れるべきものでした。
この章の中心は、神の民は神に属する者として、生活全体において神との関係を表すよう召されているということです。
背景
申命記12~13章では、礼拝と偶像礼拝について語られました。
神はイスラエルをご自身の聖なる民として選ばれました。
そのためイスラエルの生活は、周囲の民族とは異なるものである必要がありました。
申命記14章では、
- 嘆き方
- 食べ物
- 十分の一
などについて語られます。
どれも一見すると日常的な事柄ですが、その背後には「神に属する民」という共通のテーマがあります。
1. あなたがたは主の子どもである(14:1-2)
章は印象的な宣言から始まります。
「あなたがたは、あなたがたの神、主の子どもである。」
そして、死者のために体を傷つけたり、額をそったりしてはならないと命じられます。
これはカナン人や周辺民族の葬儀習慣の一部でした。
イスラエルはそのような習慣をまねてはなりません。
なぜなら、「あなたは主の聖なる民だからである。」からです。
行動の理由は規則そのものではありません。
すでに神に選ばれた民であることにあります。
2. 清い食べ物と清くない食べ物(14:3-21)
続いて食物規定が語られます。
基本的にはレビ記11章と同じ内容です。
食べることが許されるもの
ひづめが分かれ、反すうする動物です。
例えば、牛・羊・山羊などです。
また水の生き物では、ひれと鱗のあるものが許されます。
禁じられるもの
例えば、らくだ・うさぎ・豚などです。
また猛禽類や特定の鳥も禁じられています。
これらの規定にはさまざまな解釈がありますが、少なくとも神がイスラエルを他の民族と区別されたことは明らかです。
毎日の食事のたびに、「私は神に属する民である」ことを思い起こさせる役割がありました。
3. 十分の一と礼拝の喜び(14:22-27)
ここから話題は十分の一へ移ります。
収穫の十分の一は、主が選ばれる場所へ持って行かなければなりませんでした。
興味深いのは、その目的です。
モーセは言います。
「それは、いつもあなたの神、主を恐れることを学ぶためである。」
さらに、
「あなたも、あなたの家族も、主の前で喜びなさい。」
とも語られます。
十分の一は単なる税金ではありません。
神の恵みを認め、神と共に喜ぶ信仰の行為だったのです。
4. 貧しい人への配慮(14:28-29)
三年ごとには十分の一を町に蓄え、
- レビ人
- 寄留者
- みなしご
- やもめ
のために用いるよう命じられます。
ここで大切なのは、神への礼拝と隣人への愛が結び付いていることです。
神に感謝すると言いながら、困っている人々を顧みないことは許されません。
神は弱い立場にある人々を特別に心に留めておられるのです。
この箇所が私たちに語ること
申命記14章は、信仰が生活全体に関わることを教えています。
イスラエルにとって聖さとは、礼拝の時だけのものではありませんでした。
食事も、お金も、人間関係も、すべて神との関係の中に置かれていました。
また、この章は神の民としてのアイデンティティを教えています。
神は「あなたがたは主の子どもである」と言われました。
その後で生活の指針を与えられます。
行動によって神の子になるのではありません。
神の子だから、そのように生きるのです。
さらに、この章は神への愛と隣人への愛が結び付いていることを教えています。
神を礼拝する者は、弱い人々を顧みるよう求められています。
新約聖書でも、神への愛と隣人愛は切り離せないものとして語られています。
この箇所の中心メッセージ
神はイスラエルをご自身の聖なる民として選び、日常生活のあらゆる面において神に属する者として生きるよう求められた。
食事や財産の用い方も、神への礼拝と感謝を表すものであった。
神の民は神との関係を大切にすると同時に、弱い人々を顧みる愛を実践するよう招かれているのである。
「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は地の面の上のあらゆる民の中から、あなたをご自分の宝の民として選ばれた。」(申命記14:2)


