申命記15章 解放と分かち合い ── 神の恵みを実践する(15:1-23)
申命記15章は、14章で語られた「聖なる民としての生活」をさらに具体的に発展させた章です。
14章では食事や十分の一を通して、神に属する者として生きることが教えられました。
15章では、その神との関係が人との関係にどのように表れるべきかが語られます。
この章の中心は、神から恵みを受けた者は、その恵みを他者にも分かち合うべきであるということです。
神との正しい関係は、弱い人々へのあわれみと generosity(惜しみない分かち合い)となって現れます。
背景
申命記の律法は単なる社会制度ではありません。
イスラエルは、かつてエジプトで奴隷でした。
自分たちも苦しみを経験した者たちでした。
だから神は、「自分たちが受けた憐れみを忘れるな」と繰り返し教えられます。
15章は、その原則が最もよく表れている章の一つです。
1. 七年ごとの負債の免除(15:1-6)
神は七年ごとに「免除の年」を設けるよう命じられます。
この年には、同胞に貸した負債を取り立ててはなりません。
「免除が宣言されるからである。」
神は、貧しさが固定化しないように配慮されました。
イスラエル社会は、強い者がますます豊かになり、弱い者が永遠に苦しむ社会であってはなりませんでした。
そして神は言われます。
「もしあなたがたが主の御声によく聞き従うなら、主はあなたを祝福される。」
神の祝福は、自分だけのために蓄えるものではなく、他者を生かすためのものでもあるのです。
2. 貧しい兄弟に心を閉ざしてはならない(15:7-11)
続いて貧しい人への態度が語られます。
もし近くに貧しい兄弟がいるなら、
「心をかたくなにしてはならない。」
「手を閉じてはならない。」
と命じられます。
特に神は、人間のずるさを見抜いておられます。
免除の年が近づくと、「どうせ返してもらえなくなる」と思って貸し渋る誘惑があるからです。
しかし神は言われます。
「惜しまずに与えなさい。」
ここで問題なのは金額ではなく、心です。
神は与える手の前に、与える心を見ておられます。
3. 奴隷の解放(15:12-18)
ヘブル人の奴隷についても規定が与えられます。
六年間仕えたなら、七年目には自由にしなければなりません。
しかも、ただ解放するだけでなく、「何も持たせずに帰らせてはならない。」と命じられます。
羊の群れから、麦打ち場から、ぶどう搾り場から、惜しみなく与えるのです。
その理由は明確です。
「あなたもエジプトの地で奴隷であったことを覚えていなさい。」
神は常に民を過去の救いへと立ち返らせます。
自分が救われたことを忘れた時、人は他者に対して冷たくなるからです。
一方で、主人を愛して残ることを選ぶ奴隷についても語られます。
ここには強制ではなく、愛による献身の姿が表されています。
4. 初子は主のもの(15:19-23)
章の最後では、家畜の初子について語られます。
初子は神のために聖別されなければなりません。
それは、最初のものが神に属することを認める行為でした。
イスラエルは収穫も財産も家畜も、すべて神から与えられたことを忘れてはなりませんでした。
ただし傷や欠陥のあるものは献げてはなりません。
神には最善のものをささげるべきだからです。
この箇所が私たちに語ること
申命記15章は、神の恵みが実際の行動として現れるべきことを教えています。
神はイスラエルに、貧しい人を顧み、借りた人を圧迫せず、奴隷を自由にし、惜しみなく与えるよう求められました。
それは単なる社会政策ではありません。
神の恵みを映し出すためでした。
また、この章は豊かさの目的を教えています。
神が祝福を与えられるのは、自分だけが豊かになるためではありません。
その祝福を通して他者を祝福するためです。
さらに、この章は福音を思い起こさせます。
私たちは罪の奴隷でした。
しかしキリストによって解放されました。
しかも空手で送り出されたのではありません。
神は赦しと永遠のいのちという豊かな恵みを与えてくださいました。
だから私たちもまた、受けた恵みを惜しみなく分かち合うよう招かれているのです。
この箇所の中心メッセージ
神はイスラエルに、負債の免除や奴隷の解放を通して、恵みとあわれみを実践するよう命じられた。
それは自分たちもかつて奴隷であり、神によって救われたことを忘れないためであった。
神の民は受けた恵みを独り占めするのではなく、惜しみなく分かち合うことによって神の愛を表すよう招かれているのである。
「あなたは必ず彼に与えなければならない。与えるとき、心に未練を持ってはならない。」(申命記15:10)

