ヨシュア記17章 マナセ族の相続地 ── 信仰によって前進する(17:1-18)
ヨシュア記17章は、16章に続いてヨセフ族のもう一つの部族であるマナセ族の相続地について語る章です。
16章ではエフライム族が豊かな土地を受け継ぎましたが、カナン人を完全には追い払わないという課題も残しました。
17章でも同じテーマが続きます。
神は約束された土地を与えてくださいました。
しかし、その祝福を十分に受け取るためには、なお信仰による前進が必要でした。
この章の中心は、神が与えてくださる約束は十分であり、神の民は困難を恐れず信仰によって受け取るよう招かれているということです。
背景
ヨセフ族はエフライム族とマナセ族から成り立っていました。
ヤコブは臨終の時、ヨセフの二人の息子を自分の子として祝福し(創世記48章)、彼らはそれぞれ独立した部族として数えられることになりました。
そのためヨセフ族はイスラエルの中でも特に大きな勢力を持つ部族でした。
17章では、マナセ族の相続地と、その後に生じた問題が描かれます。
ツェロフハデの娘たちの相続(17:1-6)
章の冒頭では、マナセ族に属するツェロフハデの娘たちが登場します。
彼女たちは民数記27章にも登場した人物たちです。
ツェロフハデには息子がおらず、マフラ、ノア、ホグラ、ミルカ、ティルツァという娘たちだけがいました。
神は以前、「息子がいない場合は娘たちに相続地を与えなさい」と命じておられました。
そこで彼女たちはヨシュアと指導者たちの前に出て、その約束を求めます。
そして約束どおり土地が与えられます。
ここには、神が弱い立場の人にも正義を行われるお方であることが示されています。
また、神が語られた約束を忘れずに実行されることも教えられています。
マナセ族の相続地(17:7-13)
続いてマナセ族の領域が説明されます。
その地は中央山地からイズレエル平野にまで及ぶ広い地域でした。
しかしここでも16章と同じ問題が記されます。
「マナセはこれらの町の住民を追い払うことができなかった。」
そして、「カナン人はその地に住み続けようとした。」とあります。
後にイスラエルが強くなると、彼らを滅ぼす代わりに労役を課します。
これは一見成功のように見えます。
しかし神が命じられたのは妥協ではなく従順でした。
便利さを選び、神の命令を最後まで実行しなかったことが、後の時代に霊的な問題を生み出していくことになります。
ヨセフ族の不満(17:14-18)
章の後半は非常に興味深い場面です。
ヨセフ族はヨシュアのもとへ来て言います。
「なぜ私たちには一つの割り当てしかないのですか。」
彼らは人口が増えたため、自分たちの土地が狭いと感じていました。
確かにヨセフ族は大きな部族でした。
しかしヨシュアの答えは意外なものでした。
「あなたが大いなる民なら、森に上って行きなさい。」
つまり、「土地が足りないのではない。開拓すればよい」と言ったのです。
ところが彼らはさらに言います。
「あの地のカナン人には鉄の戦車があります。」
これはかつて民数記13章でイスラエルが語った言葉を思い起こさせます。
彼らは再び敵の強さを見ていました。
しかしヨシュアは答えます。
「あなたは大いなる民だ。」
「あなたはその山地を所有しなければならない。」
「あなたはカナン人を追い払うことができる。」
問題は土地の不足ではなく、信仰の不足でした。
神が与えると約束されたなら、それを受け取るために前進しなければならないのです。
この箇所が私たちに語ること
ヨシュア記17章は、神の約束には十分な備えがあることを教えています。
ヨセフ族は自分たちに足りないものばかりを見ていました。
しかしヨシュアは、すでに与えられている可能性へ目を向けさせました。
私たちもまた、不足ばかりを見ることがあります。
しかし神は、与えられたものを信仰によって用いるよう招いておられるのです。
また、この章は困難が約束の否定ではないことを教えています。
鉄の戦車は確かに強敵でした。
しかしそれは神の約束を無効にするものではありませんでした。
信仰とは障害がないことではなく、障害があっても神の約束を信頼することです。
さらに、この章は神の前での平等を教えています。
ツェロフハデの娘たちは、神がご自身の約束を守られることを経験しました。
神は立場や力によって人を扱われるのではなく、公正に一人ひとりをご覧になるお方なのです。
この箇所の中心メッセージ
神はマナセ族に相続地を与え、ツェロフハデの娘たちにも約束どおり嗣業を与えられた。
しかし民はなおカナン人を追い払わず、また困難を恐れて与えられた土地を十分に受け取ろうとしなかった。
神の民は不足や障害に目を奪われるのではなく、神の約束を信じて前進するよう招かれているのである。
「あなたは大いなる民であり、大きな力を持っている。あなたはただ一つの割り当てだけではない。」(ヨシュア17:17)

