第一コリント 11章 礼拝における秩序と主の晩餐(11:1-34)

背景

① 礼拝に関する問題へ移行

1~10章では、

  • 教会の分裂
  • 不品行
  • 結婚
  • 自由と愛
  • 偶像礼拝

などが扱われた。

11章から14章では、教会の礼拝そのものに関する問題 が取り上げられる。

② コリント教会の礼拝の混乱

コリント教会では、

  • 礼拝における秩序の乱れ
  • 共同体意識の欠如
  • 主の晩餐の乱用

などが起きていた。

③ 礼拝は神中心である

パウロは、礼拝とは人間を目立たせる場ではなく、神の栄光を表す場であることを教える。

④ 11章の二つの主題

本章は大きく、

  • 礼拝における秩序(1~16節)
  • 主の晩餐(17~34節)

の二つの部分に分かれる。

11〜14章全体の中心テーマは、「礼拝において神があがめられ、教会が建て上げられること」である。

1. 礼拝における秩序と権威(11:1-16)

① パウロにならう者となりなさい

パウロは、

「私がキリストにならう者であるように、あなたがたも私にならう者となりなさい。」

と語る。

中心にあるのは、キリストに倣う生き方である。

② 頭(かしら)の原則

パウロは、

  • キリストは男の頭
  • 男は女の頭
  • 神はキリストの頭

と説明する。

ここでの中心は支配ではなく、神が定められた秩序を尊重することである。

③ 頭を覆う問題

当時のコリント社会では、女性が公の場で頭を覆うことが、慎みや品位を示す文化的しるしであった。

そのため礼拝においても、共同体の秩序を乱さないことが求められた。

④ 男と女の相互依存

パウロは、男性の優越を語っているのではない。

むしろ、

「主にあっては、女も男なしではなく、男も女なしではありません。」

と語る。

⑤ 神の栄光を表す礼拝

礼拝において重要なのは、

  • 自己主張ではなく
  • 文化的反抗でもなく
  • 神の栄光を表すこと

なのである。

この箇所は当時のコリント文化と密接に結びついている。

現代への適用では、「かぶり物」そのものよりも、「神への敬意」「秩序」「共同体への配慮」という原則を見る必要がある。

2. 主の晩餐における分裂(11:17-22)

① 褒められない集まり

パウロは厳しく語る。

彼らの集まりは、益になるどころか、かえって害になっていた。

② 礼拝の中の分裂

教会には依然として、

  • 派閥
  • 分裂
  • 格差

が存在していた。

③ 愛餐の乱用

当時の主の晩餐は、共同の食事(愛餐)と結びついていた。

しかし裕福な者たちは、先に食べ始めていた。

④ 貧しい者たちの軽視

その結果、

  • ある者は満腹になり
  • ある者は空腹のまま

という状態が生じていた。

⑤ 教会を侮る行為

パウロは、これは単なるマナー違反ではなく、神の教会を軽んじる行為であると断言する。

主の晩餐はキリストにある一致を表すものである。

それが階級差や自己中心によって損なわれていたことが問題だった。

3. 主の晩餐の制定(11:23-26)

① 主から受けた伝承

パウロは、主の晩餐の起源を説明する。

これは人間の発明ではなく、主ご自身から受けたものである。

② パンの意味

主イエスは、パンを裂いて言われた。

「これはあなたがたのためのわたしの体です。」

パンは、十字架で与えられたキリストの体を象徴する。

③ 杯の意味

杯は、

「わたしの血による新しい契約」

を示す。

それは罪の赦しのために流された血である。

④ 記念として行う

主の晩餐は、キリストの犠牲を覚えるために行われる。

⑤ 主の再臨を待ち望む

晩餐は過去を記念するだけでなく、主の再臨を待ち望む行為でもある。

「主が来られるまで。」

補足:

主の晩餐には、

  • 十字架の記念
  • 現在の交わり
  • 再臨の希望

の三つの側面がある。

4. ふさわしく主の晩餐にあずかる(11:27-34)

① 軽々しくあずかってはならない

主の晩餐は、宗教儀式ではない。

キリストの犠牲を記念する行為である。

② 自分を吟味する

パウロは、

「まず自分を吟味しなさい。」

と命じる。

③ 主の体をわきまえる

ここでの「主の体」には、

  • キリストの体
  • 教会という体

の両方の意味が含まれている。

④ 神の懲らしめ

コリント教会には、

  • 弱っている者
  • 病んでいる者
  • 眠った者

がいた。

パウロはこれを神の懲らしめとして理解している。

⑤ 裁きではなく訓練

しかしその目的は滅びではない。

神はご自身の民を訓練し、悔い改めへ導かれるのである。

⑥ 互いを待ちなさい

最後にパウロは、互いを思いやりながら食事するよう命じる。

主の晩餐は、自己中心ではなく共同体の交わりを表すものだからである。

自分を吟味することは「自分は価値があるか」を確認することではない。

悔い改めをもって主の前に出ているかを問うことである。

神学的意味

① 礼拝には神が定められた秩序がある

  • 混乱ではなく
  • 自己主張ではなく
  • 神への敬意が必要である

② 男と女は神の前に共に尊い

  • 優劣ではなく
  • 役割の違いであり
  • 相互依存の関係である

③ 教会はキリストにあって一つである

  • 身分を超え
  • 経済力を超え
  • 社会的立場を超える

共同体である。

④ 主の晩餐は福音の中心を示す

  • キリストの体
  • キリストの血
  • 新しい契約

を記念する。

⑤ 主の晩餐は再臨の希望を宣言する

  • 十字架を振り返り
  • 現在の恵みに生き
  • 将来の完成を待ち望む

行為である。

⑥ 信徒は自らを吟味すべきである

  • 悔い改め
  • 信仰
  • 共同体との関係

を見つめ直す必要がある。

⑦ キリストとの関係

キリストは、

  • 教会の頭
  • 十字架で体を裂かれた救い主
  • 新しい契約の仲保者
  • 再び来られる主

である。

主の晩餐は、信徒がキリストとの交わりの中に生きていることを示す礼拝行為なのである。

まとめ

  • 第一コリント11章は礼拝の秩序と主の晩餐を扱う章である。
  • 礼拝は神への敬意をもって行われるべきである。
  • 男と女は神の前で互いに依存する存在である。
  • コリント教会では主の晩餐が乱用されていた。
  • 主の晩餐はキリストの十字架を記念するものである。
  • 新しい契約はキリストの血によって確立された。
  • 主の晩餐は再臨の希望も表している。
  • 信徒は自らを吟味してあずかるべきである。
  • 教会の一致と愛が求められている。

「礼拝は神の栄光のために秩序をもって行われ、主の晩餐を通して信徒はキリストの犠牲・現在の交わり・再臨の希望を覚えながら、一つの体として歩むべきである」