ルカ7:1-17 百人隊長とナインのやもめ
信仰に応え、死にさえ勝利される主
ルカ7章は二つの奇跡を並べて記しています。
一つは異邦人である百人隊長のしもべの癒し、 もう一つはナインのやもめの息子のよみがえりです。
一見すると別々の出来事ですが、ルカはこれらを通して、
イエスが限りない権威と深い憐れみを持つ救い主であること
を示しています。
そして、信仰によって主に近づく者にも、悲しみの中で力尽きている者にも、主は恵みを与えてくださるのです。
百人隊長の驚くべき信仰
カペナウムにいた百人隊長には、大切にしていたしもべがいました。
そのしもべは重い病気にかかり、死にかけていました。
百人隊長はイエスの噂を聞き、ユダヤ人の長老たちを遣わして助けを求めます。
長老たちは、
「彼は私たちの国民を愛し、会堂も建ててくれました。」
と言って彼のために願います。
しかし百人隊長自身は全く違う考えを持っていました。
イエスが家に近づかれると、彼は友人たちを遣わしてこう伝えます。
「主よ。わざわざおいでくださらなくても結構です。私はあなたをお迎えする資格もありません。」
彼は自分の功績や善行を誇りませんでした。
ただ主の権威を信頼したのです。
「おことばを下さい」
百人隊長は続けて言います。
「ただ、おことばを下さい。そうすれば、私のしもべは癒やされます。」
彼は軍人でした。
命令する立場にいたため、権威とは何かを理解していました。
上官が命じれば部下は従います。
同じようにイエスが命じれば、病も従うと信じていたのです。
実際に百人隊長はイエスのもとへ来ていません。
イエスが手を置く場面もありません。
それでも彼は、イエスのことばだけで十分だと信じていました。
するとイエスは驚いて、
「イスラエルの中でも、これほどの信仰を見たことがありません。」
と言われます。
ルカはここで、異邦人である百人隊長が模範的な信仰を示したことを描いています。
信仰とは、自分の価値や資格に頼ることではなく、主の権威を信頼することなのです。
ナインのやもめへの憐れみ
続いて舞台はナインという町へ移ります。
ちょうどその時、一人の青年の葬列が町から出てきました。
彼は母親の一人息子でした。
しかも母親はやもめでした。
当時の社会では、夫も息子も失った女性は生活の支えを完全に失うことになります。
彼女は愛する息子だけでなく、将来の希望までも失っていたのです。
しかしここで注目したいのは、この女性がイエスに助けを求めていないことです。
百人隊長は信仰をもって願いました。
しかしやもめはただ悲しみに暮れていました。
それでもイエスは彼女を見て、
「かわいそうに思われた」
のです。
死にさえ命じられる主
イエスは近づいて、
「泣かなくてもよい。」
と言われます。
そして棺に手を触れ、
「青年よ、あなたに言う。起きなさい。」
と命じられました。
すると死んでいた青年が起き上がり、話し始めました。
ここでもイエスは祈っていません。
神の力を求めて叫んでもいません。
ただ命じられただけです。
悪霊も病も従いましたが、今度は死そのものがイエスに従いました。
ルカは、イエスの権威が死にまで及ぶことを示しているのです。
大預言者以上のお方
この奇跡を見た人々は恐れ、
「偉大な預言者が私たちのうちに現れた。」
と言います。
確かに旧約でも、
- エリヤがやもめの息子を生き返らせ
- エリシャがシュネムの女の息子を生き返らせました
しかし彼らとイエスには大きな違いがあります。
預言者たちは神に祈りました。
しかしイエスはご自身の権威によって命じられました。
ルカはここで、イエスが単なる預言者以上のお方であることを示しています。
この箇所が私たちに語ること
百人隊長とやもめは、まったく異なる立場の人でした。
一人は権力を持つ異邦人。
もう一人は弱い立場のやもめです。
しかし両者に共通していることがあります。
それは、
どちらも自分では解決できない問題を抱えていたこと
です。
百人隊長は主の権威を信じました。
やもめは悲しみの中で何もできませんでした。
しかし主は、その両方に恵みを与えられました。
私たちも信仰をもって主に近づく時、また力尽きて助けを求めることさえできない時であっても、主はなお私たちをご覧になり、憐れみを注いでくださるのです。
この箇所の中心メッセージ
イエスは病や死をも支配する権威を持つ救い主である。
主は信仰を喜ばれ、また深い悲しみの中にいる者を憐れまれる。
どんな状況にあっても、主の権威と憐れみは人を回復へ導く。
「わたしはイスラエルの中でも、このような大きな信仰を見たことがありません。」(ルカ7:9)
「青年よ、あなたに言う。起きなさい。」(ルカ7:14)

