ルカ10:1-24 七十人の派遣
収穫のために遣わされる弟子たち
イエスはエルサレムへの旅を続けながら、新たに七十人を選び、二人ずつ先に遣わされました。
9章では十二弟子が遣わされましたが、今回はさらに多くの弟子たちが派遣されています。
これは神の国の働きが十二使徒だけのものではなく、より広く人々へ広がっていくことを示しています。
弟子とは、ただイエスに従うだけの存在ではありません。
神の国を伝えるために遣わされる存在でもあるのです。
収穫は多いが働き手は少ない
イエスはまずこう言われます。
「収穫は多いが、働き手が少ない。」
畑には収穫を待つ穀物が豊かに実っていました。
しかし刈り取る人が足りません。
イエスはこれを神の国に当てはめられました。
神は多くの人々を救いへ招いておられます。
しかし、その福音を届ける働き手が必要なのです。
そこでイエスは、
「収穫の主に、働き手を送ってくださるよう祈りなさい。」
と言われました。
神の働きは、まず祈りから始まります。
狼の中の子羊として
続いてイエスは、
「見なさい。わたしはあなたがたを遣わします。 狼の中に子羊を送り出すようなものです。」
と言われます。
弟子たちの働きは決して楽なものではありません。
抵抗や拒絶があることを主は最初から知っておられました。
それでも弟子たちは武力や権力によってではなく、神への信頼によって遣わされます。
彼らは旅のための多くの備えも持たずに出て行きました。
それは神が必要を備えてくださることを学ぶためでした。
神の国は近づいた
弟子たちが語る中心メッセージは単純でした。
「神の国があなたがたに近づいた。」
神の国とは単なる場所ではありません。
神の支配が人々の間に現れることです。
そのため弟子たちは病人を癒し、人々に神の国を告げ知らせました。
しかし全ての町が福音を受け入れるわけではありませんでした。
イエスは、拒絶される時もあることを教えられます。
それでも弟子たちは結果に責任を負うのではなく、忠実に神の国を告げ知らせることが求められていました。
喜んで帰って来た弟子たち
派遣された七十人は喜んで帰って来ました。
彼らは言います。
「主よ。あなたの御名を用いると、悪霊どもでさえ私たちに服従します。」
弟子たちは神の力ある働きを経験しました。
するとイエスは、
「わたしはサタンが天から稲妻のように落ちるのを見ました。」
と言われます。
神の国が広がる時、悪の支配は後退し始めます。
弟子たちの働きは単なる成功体験ではなく、神の国の勝利の一部だったのです。
本当に喜ぶべきこと
しかしイエスは、そこで話を終えられませんでした。
「霊どもが服従することを喜んではなりません。」
と言われます。
もちろん神の力が現れることは素晴らしいことです。
しかし弟子たちが本当に喜ぶべきことは、
「あなたがたの名が天に書き記されていること」
でした。
働きの成果よりも、
奇跡の経験よりも、
まず神との関係こそが喜びの土台なのです。
これは現代の私たちにも重要な教えです。
信仰生活の価値は、どれだけ大きな働きをしたかではなく、神に属していることにあります。
父なる神のご計画
最後にイエスは喜びにあふれて祈られます。
「父よ、あなたをほめたたえます。」
そして神はご自分の真理を、高ぶる者ではなく幼子のような者に示してくださることを感謝されます。
神の国は人間の知恵や能力によって理解されるものではありません。
へりくだって神を受け入れる者に開かれるのです。
またイエスは、
「多くの預言者や王たちは、あなたがたの見ているものを見たいと願った」
とも語られます。
弟子たちは、旧約の人々が待ち望んできた救いの時代を実際に見ている非常に祝福された者たちだったのです。
この箇所が私たちに語ること
この箇所は、神の国の働きが一部の特別な人だけのものではないことを教えています。
イエスは七十人を遣わされました。
つまり神は多くの弟子たちを用いてご自身の働きを進められるのです。
また私たちは結果や成果に一喜一憂しがちですが、イエスはもっと深い喜びを示されます。
それは、
「自分が神のものとされている」
という喜びです。
そこからすべての奉仕と宣教は始まるのです。
この箇所の中心メッセージ
神の国の働きは多くの弟子たちを通して広げられる。
弟子は神に遣わされ、神の力によって仕える。
しかし最大の喜びは働きの成果ではなく、自分の名が天に記され、神に属していることである。
「収穫は多いが、働き手が少ないのです。」(ルカ10:2)
「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ10:20)

