ルカ17:20-37 神の国の到来

神の国はすでに来ている

十人のツァラアトの人の癒しに続いて、イエスは神の国について教えられます。

パリサイ人たちは、

「神の国はいつ来るのですか。」

と尋ねました。

彼らは神の国を、誰の目にも明らかな政治的・社会的変革として期待していました。

しかしイエスは、その期待を修正されます。

そして神の国がどのように到来するのか、また終わりの日がどのように訪れるのかを語られるのです。


神の国はあなたがたのただ中にある

イエスはまず言われます。

「神の国は、見える形では来ません。」

さらに、

「『見よ、ここだ』とか『あそこだ』とか言えるものでもありません。」

と言われます。

そして有名な言葉を語られます。

「神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」

この言葉にはさまざまな解釈がありますが、文脈から考えると、

神の国の王であるイエスご自身がそこにおられる

という意味が最も自然でしょう。

神の国は単なる未来の出来事ではありません。

既にイエスの到来によって始まっているのです。

これは、

神の国に入るとは神を王として受け入れること

というテーマとも深くつながっています。


まだ完成していない神の国

しかし神の国の話はそこで終わりません。

イエスは弟子たちに向かって、

「人の子の日を一日でも見たいと願う時が来ます。」

と言われます。

神の国は既に始まっています。

しかしまだ完成してはいません。

弟子たちはやがてイエスの十字架と昇天を経験し、

再び主が来られる日を待つことになります。

ここに神の国の二重性があります。

すでに来ている。

しかし、まだ完成していないのです。


「ここだ、あそこだ」に惑わされるな

イエスは、

「見よ、あそこだ。」

「見よ、ここだ。」

という声に従ってはならないと言われます。

なぜなら人の子の到来は、

「稲妻が空の端から端までひらめくように」

起こるからです。

終わりの日は秘密裏に起こる出来事ではありません。

全世界が知る出来事となります。

だから弟子たちは、噂や憶測に振り回される必要はないのです。


十字架が先にある

しかしイエスはまず、

「人の子はまず多くの苦しみを受けなければなりません。」

と言われます。

栄光の完成の前に十字架があります。

これはルカ9章での受難予告以来、一貫して語られているテーマです。

神の国は苦しみを飛び越えて完成するのではありません。

イエスは十字架を通して王となられるのです。


ノアの日、ロトの日

続いてイエスはノアの日とロトの日を例に挙げられます。

人々は、

  • 食べたり飲んだりし
  • 結婚したりし
  • 売ったり買ったりし
  • 建てたり植えたり

していました。

これらは罪そのものではありません。

問題は、神の警告に無関心だったこと です。

彼らは普通の生活を続けていましたが、神の時を見分けていませんでした。

そして裁きは突然訪れました。


後ろを振り返るな

ここでイエスは短く、

「ロトの妻を思い出しなさい。」

と言われます。

ロトの妻は町を出ながら、なお後ろを振り返りました。

心がソドムに残っていたのです。

これはルカ9章の

「鋤に手をかけてから後ろを見る者は」

という教えとも響き合います。

神の国に生きる者は、過去の世界へ執着してはならないのです。


取られる者と残される者

イエスはさらに、

二人が一つの寝台にいて、

一人は取られ、

一人は残される

と言われます。

また、

二人の女が一緒に粉をひいていて、

一人は取られ、

一人は残される

とも語られます。

外見上は同じ生活をしているように見えても、神の前では違いが明らかになるのです。

神の国への応答は、最終的に明らかにされます。


神の国を待ちながら生きる

弟子たちは、

「それはどこで起こるのですか。」

と尋ねます。

しかしイエスは場所や時期の計算を教えられませんでした。

むしろ、神の国が確実に完成することを示されます。

弟子たちの関心は日時の予測ではなく、神の国に生き続けることに向けられるべきだったのです。


この箇所が私たちに語ること

この箇所は、神の国についての非常に重要な真理を教えています。

神の国は未来だけの話ではありません。

イエスの到来によって既に始まっています。

しかし同時に、その完成はまだ未来にあります。

私たちはその間の時代を生きています。

だから弟子は、

「いつ来るのか」

ばかりを考えるのではなく、

「今、神を王として生きているか」

を問われています。

神の国はすでに始まっています。

そして主は再び来られます。

だから私たちは、神の支配の中で忠実に歩み続けるよう招かれているのです。


この箇所の中心メッセージ

神の国はイエスの到来によって既に始まっている。

しかしその完成は将来に待たれている。

弟子は終わりの日の計算に心を奪われるのではなく、今この時を神の支配の下で生きるよう招かれている。

「神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ17:21)

「人の子の日にも、ちょうどそのようになります。」(ルカ17:30)