ルカ21:25-33 人の子の再臨
神の国の完成の日
イエスは神殿崩壊とエルサレムの滅びについて語られた後、その視線をさらに遠くへ向けられます。
ここでは単なる歴史上の出来事ではなく、
神の国が最終的に完成する時、人の子が栄光のうちに現れること
が語られています。
これまでルカ福音書では、
神の国はすでに来ている
ことが繰り返し教えられてきました。
しかしここでは、
神の国がまだ完成していない
ことも示されています。
天と地を揺るがすしるし
イエスは言われます。
「日と月と星にしるしが現れます。」
さらに、
「地上では諸国の民が苦悶し、途方に暮れます。」
と語られます。
海や波が荒れ、人々は恐れに満たされます。
ここで描かれているのは単なる自然現象ではありません。
旧約聖書の預言において、天体の動揺は神が歴史の中へ介入される時の象徴でした。
つまりイエスは、神の最終的な支配が明らかになる時を語っておられるのです。
人の子が雲に乗って来られる
その時、
「人の子が力と大いなる栄光を帯びて雲に乗って来る」
とあります。
これはダニエル7章の預言を背景としています。
そこでは、
「人の子のような方」
が神から支配と権威を受けます。
イエスはこの預言をご自分に当てはめておられるのです。
十字架へ向かうお方が、最終的には栄光の王として現れます。
苦難のしもべと栄光の王は別人ではありません。
同じイエスなのです。
「顔を上げなさい」
興味深いのは、この場面での弟子たちへの言葉です。
多くの人は恐れます。
しかしイエスは弟子たちに、
「これらのことが起こり始めたら、身を起こし、頭を上げなさい。」
と言われます。
なぜなら、
「あなたがたの贖いが近づいているからです。」
神の国の完成は、この世に執着する人にとっては恐れですが、
王を待ち望む者にとっては希望です。
だから弟子たちは恐怖ではなく期待をもってその日を待つことができます。
いちじくの木のたとえ
続いてイエスはいちじくの木を例に語られます。
木が芽を出すと、
「夏が近い」
ことが分かります。
同じように、
「これらのことが起こるのを見たら、神の国が近いことを知りなさい。」
と言われます。
ここで大切なのは、終末の日時を計算することではありません。
神のご計画が確実に進んでいることを認識することです。
弟子たちは不安に支配されるのではなく、神が歴史を支配しておられることを信頼するよう求められています。
「この時代は過ぎ去らない」
この節は様々な解釈がある箇所です。
「まことにあなたがたに言います。これらのことがすべて起こるまで、この時代は決して過ぎ去りません。」
ここでの「これらのこと」には、直前の神殿崩壊やエルサレム陥落が含まれていると考えられます。
実際、それらは弟子たちの世代の中で起こりました。
同時にルカは、その歴史的出来事を通して終わりの日への視線も向けています。
神の裁きも、神の国の完成も、神のことばどおりに進むのです。
決して滅びないもの
最後にイエスは力強く宣言されます。
「天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びません。」
ここが段落の中心です。
神殿は滅びます。
エルサレムも滅びます。
国々も変わります。
天と地さえ過ぎ去る日が来ます。
しかしイエスのことばは決して失われません。
だから弟子たちは、目に見えるものではなく、主のことばに信頼を置くことができるのです。
この箇所が私たちに語ること
私たちは終末のしるしや将来の出来事に関心を持ちやすいものです。
しかしイエスの焦点は、
「いつなのか」
ではなく、
「その時まで、だれに信頼して生きるのか」
にあります。
神の国はすでに始まっています。
そしていつの日か完成します。
その時、王であるキリストが栄光のうちに現れます。
だから弟子は恐れに支配されるのではなく、希望を持って顔を上げることができるのです。
この箇所の中心メッセージ
人の子であるイエスは、将来栄光のうちに再び来られる。
神の国はすでに始まっているが、まだ完成していない。
弟子は終末への恐れではなく、神の国の完成への希望を持って歩むよう招かれている。
「その時、人々は、人の子が力と大いなる栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。」(ルカ21:27)
「天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びません。」(ルカ21:33)

