ルカ21:34-38 目を覚ましていなさい
神の国を待つ者の生き方
イエスは人の子の再臨について語られた後、
「では、その日を待つ弟子はどのように生きるべきか」
を教えられます。
終末についての教えは、単なる未来予測のためではありません。
むしろ、神の国の完成を待つ者が、今をどのように生きるべきか を示すために語られています。
心が鈍くならないように
イエスはまず警告されます。
「あなたがたの心が放蕩や深酒や生活の思い煩いで鈍くならないように気をつけなさい。」
ここで挙げられているものは違う種類のものですが、共通点があります。
それは、神への備えを失わせること です。
ある人は快楽に心を奪われます。
ある人は心配事に飲み込まれます。
どちらも神から目を離させるという点では同じです。
イエスは弟子の心が麻痺してしまうことを警告しておられます。
突然訪れる日
イエスは続けて言われます。
「その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことにならないようにしなさい。」
人の子の日は予告なく訪れます。
それは17章で語られた
- ノアの日
- ロトの日
とも共通しています。
人々はいつも通り生活していました。
しかし神の時は突然来ました。
問題は生活そのものではありません。
神を忘れたまま生きていたことです。
地上のすべての人に及ぶ日
イエスはさらに、
「その日は地の全面に住むすべての人に臨むからです。」
と言われます。
再臨は局地的な出来事ではありません。
神の国の完成は全世界に関わる出来事です。
だから私たちは、ただ自分の生活だけを見て生きるのではなく、歴史全体が神の御手の中にあることを覚える必要があります。
いつも目を覚まし、祈っていなさい
そこでイエスは命じられます。
「いつも目を覚まして祈っていなさい。」
ルカ福音書では祈りが繰り返し強調されています。
- 主の祈り
- やもめのたとえ
- 祈り続ける信仰
などです。
ここでも祈りは終末への備えとして語られます。
目を覚ましているとは、終末のニュースを追い続けることではありません。
神との交わりを保ち続けることです。
人の子の前に立つために
イエスは言われます。
「人の子の前に立つことができるように。」
神の国の完成とは、
単に世界が終わることではありません。
王であるキリストの前に立つことです。
ルカ福音書はここまで、神の国とは神を王として受け入れることだと繰り返し教えてきました。
そして終わりの日には、その王の前に立つことになります。
だから重要なのは、その日付を知ることではなく、今日も王に従っていることなのです。
神殿で教え続けるイエス
ルカは最後に、
昼は神殿で教え、
夜はオリーブ山で過ごされた
と記します。
そして人々は早朝からイエスの話を聞くために集まって来ました。
十字架の日は近づいています。
宗教指導者たちはイエスを殺そうとしています。
しかしイエスは最後まで神のことばを語り続けられます。
王は逃げることなく、ご自身の使命へ向かって進んで行かれるのです。
この箇所が私たちに語ること
私たちは終末について考える時、
「いつ起こるのか」
に関心を向けがちです。
しかしイエスの関心は、
「その日までどう生きるのか」
にあります。
神の国の完成を待つ者は、
快楽や不安に支配されるのではなく、
目を覚まし、
祈り、
王であるキリストとの交わりを保ちながら歩みます。
終末への備えとは恐れることではありません。
今日も主と共に歩むことなのです。
この箇所の中心メッセージ
神の国の完成の日は突然訪れる。
だから弟子は快楽や思い煩いに心を奪われるのではなく、目を覚まして祈り続けるよう招かれている。
終末への備えとは、王であるキリストとの交わりの中を忠実に歩むことである。
「あなたがたの心が放蕩や深酒や生活の思い煩いで鈍くならないように気をつけなさい。」(ルカ21:34)
「いつも目を覚まして祈っていなさい。」(ルカ21:36)

