マルコ10:17-31 金持ちの青年

永遠のいのちを求める青年(10:17-20)

イエスが旅を続けておられると、一人の人が走り寄って来てひざまずき、

「良い先生。永遠のいのちを受け継ぐには、何をしたらよいでしょうか。」

と尋ねます。

彼は真剣に救いを求めていました。

イエスはまず戒めについて語られます。

すると彼は、

「私は少年のころから、それらすべてを守ってきました。」

と答えました。

この青年は道徳的にも宗教的にも熱心な人物でした。

しかし彼にはまだ一つ欠けているものがありました。


ただ一つ欠けているもの(10:21-22)

イエスは彼を見つめ、

「慈しんで」

語られます。

ここは非常に重要です。

イエスは彼を責めているのではありません。

愛をもって、その心の中心にある問題を指摘されたのです。

「あなたには一つ欠けていることがあります。行って、持っている物を売り払い、貧しい人たちに与えなさい。」

そして、

「それから来て、わたしに従いなさい。」

と招かれます。

しかし青年は多くの財産を持っていたため、

「悲しみながら立ち去った。」

のでした。

彼は永遠のいのちを求めましたが、財産を手放してまでイエスを選ぶことはできませんでした。


富と神の国(10:23-27)

イエスは弟子たちを見回して言われます。

「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことでしょう。」

弟子たちは驚きました。

当時、多くの人は富を神の祝福のしるしと考えていたからです。

そこでイエスはさらに言われます。

「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しい。」

弟子たちはますます驚き、

「それでは、だれが救われることができるのだろうか。」

と言います。

するとイエスは答えられます。

「人にはできないことでも、神にはできるのです。」

救いは人間の功績ではなく、神の恵みによるのです。


すべてを捨てて従った者たち(10:28-31)

ペテロは言います。

「ご覧ください。私たちはすべてを捨てて、あなたに従って来ました。」

イエスは、そのように主に従った者たちには報いがあると約束されます。

ただし、その報いは単なる物質的成功ではありません。

神の家族の交わりと、永遠のいのちです。

そして最後に有名な言葉を語られます。

「先の者が後になり、後の者が先になる。」

神の国は、この世の価値観とは反対に動くのです。


青年が失敗した理由

この青年の問題は、財産を持っていたことではありません。

財産が彼を支配していたことでした。

戒めは守っていましたが、

心の中心には神ではなく富がありました。

そのため彼は、

「わたしに従いなさい」

という招きに応じることができませんでした。

マルコはここで、

救いとは単なる道徳的努力ではなく、

キリストに従うことだと教えています。


この箇所が私たちに語ること

私たちはこの青年のように、表面的には正しく生きていても、心の中心を神以外のものに明け渡していることがあります。

それは財産かもしれませんし、

地位や名誉、

成功や人からの評価かもしれません。

イエスは今も、

「わたしに従いなさい。」

と招いておられます。

そして神の恵みは、人間には不可能なことを可能にしてくださるのです。


この箇所の中心メッセージ

金持ちの青年は永遠のいのちを求めたが、財産を手放してイエスに従うことができなかった。

救いは人間の功績ではなく、神の恵みによる。

神の国に入る者は、自分の拠り所を手放し、キリストを第一とする者である。

「人にはできないことでも、神にはできるのです。」(マルコ10:27)