マルコ14:53-72 裁判と否認
大祭司の庭での裁判(14:53-59)
イエスは大祭司のもとへ連れて行かれます。
そこには祭司長たち、長老たち、律法学者たちが集まっていました。
彼らはイエスを死刑にするための証言を求めます。
多くの者が偽証しましたが、その証言は一致しませんでした。
やがてある人々が立ち上がり、
「この人は『わたしは人の手で造られたこの神殿を壊し、三日で別の神殿を建てる』と言った。」
と訴えます。
しかしこの証言さえも一致しませんでした。
イエスを罪に定めようとしても、正当な理由を見つけることができなかったのです。
キリストか、それとも冒瀆者か(14:60-64)
そこで大祭司はイエスに直接尋ねます。
「あなたは、ほむべき方の子、キリストなのですか。」
これまでイエスは多くの場合、ご自身について沈黙しておられました。
しかしこの時は明確に答えられます。
「わたしは、その者です。」
さらに、
「あなたがたは、人の子が力ある方の右の座に着き、天の雲とともに来るのを見ることになります。」
と言われました。
これは詩篇110篇とダニエル7章を引用しながら、ご自身がメシアであり終末の裁き主でもあることを宣言した言葉です。
すると大祭司は衣を引き裂き、
「もう証人は要らない。」
と言います。
議会はイエスを死に値すると判断しました。
皮肉なことに、彼らは真実を聞いたからこそイエスを有罪にしたのです。
侮辱を受ける主(14:65)
人々はイエスにつばきをかけ、
顔を覆い、
「言い当ててみろ。」
とあざけりました。
こうして神の子は罪人のように扱われます。
しかしイエスは抵抗されませんでした。
主は自ら十字架への道を歩んでおられたのです。
ペテロの第一の否認(14:66-68)
一方そのころ、ペテロは中庭にいました。
すると女中の一人が、
「あなたも、あのナザレ人イエスと一緒にいましたね。」
と言います。
しかしペテロは、
「何を言っているのか分からない。」
と言って否定しました。
数時間前には、
「たとえ皆がつまずいても、私はつまずきません。」
と言っていたペテロでした。
しかし現実の圧力の前で恐れ始めていました。
第二、第三の否認(14:69-71)
女中は再び周囲の人々に、
「この人は、あの仲間です。」
と言います。
ペテロは再び否定しました。
さらにしばらくして周囲の人々も、
「確かにおまえは仲間だ。ガリラヤ人だから。」
と言い始めます。
するとペテロは激しく誓いながら、
「あなたがたの話しているその人を、私は知らない。」
と言いました。
ついに三度目の否認が口から出てしまったのです。
鶏の鳴き声と涙(14:72)
その時すぐに鶏が二度鳴きました。
ペテロはイエスが語られた言葉を思い出します。
「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言う。」
ペテロはその言葉を思い起こし、泣き崩れました。
彼は自分の忠誠心を信じていました。
しかし、自分の弱さをまだ知らなかったのです。
ここでペテロは完全に失敗しました。
しかしこの失敗は物語の終わりではありません。
復活後、主は再び彼を回復されることになります。
イエスとペテロの対比
この場面でマルコは二つの姿を並行して描いています。
イエスは裁判の中で真理を告白されました。
一方ペテロは中庭で主を否認しました。
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イエスは忠実であられる
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ペテロは失敗する
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イエスは苦しみを受け入れる
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ペテロは苦しみを避ける
マルコはここで、人間の弱さとキリストの完全な忠実さを鮮明に対比しているのです。
この箇所が私たちに語ること
私たちもペテロのように、自分は大丈夫だと思いながら失敗することがあります。
しかしペテロの物語は、失敗した者にも希望があることを教えています。
救いの基礎は私たちの忠実さではありません。
最後まで真実であられたキリストの忠実さです。
主は弱さを持つ者を見捨てず、悔い改める者を再び立ち上がらせてくださるのです。
この箇所の中心メッセージ
イエスは議会の前でご自身がキリストであることを告白し、そのために死刑へと定められた。
一方ペテロは恐れの中で三度主を否認した。
しかし人間が失敗しても、キリストは最後まで忠実であられた。私たちの希望は自分の強さではなく、主の真実さにある。
「わたしは、その者です。」(マルコ14:62)

