目次
御心とは?
私たちの最大の問題は、私たちが神様から離れた状態にあって、神様が歩ませた人生を歩んでいない事にあります。
そこで私たちは、神様が歩ませようとしているはずの道を探すのですが、なかなかそれを見出すことができません。
神様が計画し、私たちを導こうとしている人生の方向を、『神様の御心』と呼びます。
多くのクリスチャンが、神様の御心を知りたいと願っていますが、その方法がわからないでいます。
私たちは、どうすれば神様の導きを感じ、御心を知る事ができるのでしょうか?
前提条件
私たちが神様の御心を知るためには、必要な前提条件があります。
1. 神様の導きが最善であることを信じ、信頼する
詩篇 37:5 あなたの道を【主】にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
神様は全知全能であり、私たちを愛して下さっています。
それが最善であることを信じて、神様の道を選びましょう。
2. どんな事でも神様に従うという決心と、心の準備をする
イエス様はこう言っています。
ヨハネ 5:30cわたし自身の望むことを求めず、わたしを遣わした方のみこころを求めるからです。
私たちも、イエス様がそうしたのと同じように、自分の望むことではなく、神様の御心を第一に求める必要があるのです。
私たちが、どんな事でも従うという心の状態でなければ、私たちは無意識の内に自分の都合の悪い事には耳をふさいでしまいます。
下図にあるように、イエス様を受け入れてクリスチャンになっても、自分が自分の王様となって全てを決めるという状態では、神様が何を教え、導いていたとしても意味がありません。
自分の王座をイエス様に明け渡し、神様の御心にいつでも従うという決心をしましょう。
その時私たちの心は、神様の声を聞くことができるように、準備が整えられるのです。
どのように導きを受け取るか
1. 神様はご自身の計画に従って、常に働いておられます。
ヨハネ5:17、19~20を読みましょう。
ヨハネ 5:17 イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」
ヨハネ 5:19 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。
5:20 それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、あなたがたが驚き怪しむためです
私たちがまず知っておく必要があるのは、いつでも神様が先に働いておられるという事です。
私たちはつい、自分で思いついたことに対して神様に祈り、それが御心かどうかを尋ねたり、助けて下さるようにお願いするという事をやってしまいがちです。
しかし、この方法には大きな問題があります。
それは、罪人である私たちがその計画の中心になっていて、神様の方を動かそうとしている事です。
すべての主権は神様にあり、私たちにあるのではありません。
そして、神様が私たちにその計画を表して下さり、私たちがそれに参加する様に招いておられるのです。
周りを取り巻く環境を、見回してみて下さい。
今までと違う事はないでしょうか? 何かが起こってはいないでしょうか?
誰かが何かを必要としていたり、神様を求めているという事はないでしょうか?
神様は、ご自身の計画に従って、すでに働いておられるのです。
次の出来事が起こるなら、そこには神様が働いておられます。
- 誰かが神様に引き寄せられているところ
- 誰かが神様を求め始めているところ
- 誰かの考えが霊的真理に近づいているところ
- 誰かが自分の罪に気づいているところ
- 誰かが本当の正しさ(義)を求めているところ
- 誰かが神様の裁きに目を向けているところ
- 誰かが神の国を立て上げる働きを始めているところ。
なぜそこに、神様が働かれているという事ができるのでしょう?
それは、神様から離れて罪人となった私たちは、聖霊の働きによるのでなければ、神様に御心に近づくことができないからです。このように書かれています。
Ⅰコリント 2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。
どんな時でも、神様が働いておられるところを見つけるところから始めましょう。
こうして神様から始めるのでない限り、私たちは神様の働きを体験する事はできないのです。
2. 神様の最大の目的は、あなたと愛の関係を築く事です。
ルカ10:27、ヨハネ14:21を読みましょう。
ルカ 10:27 すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」
ヨハネ 14:21 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。」
神様は、どうしてその働きの中に私たちを招き入れようとしているのでしょうか?
どうして全てを自分でするのではなく、私たちを通して働きを完成させようとなさるのでしょうか?
それは、その事を通して私との愛の関係を築き、その関係をより深くするためです。
これまでに学んできたように、私たちは神様との愛の関係を築く存在として創造されました。
イエス様を知るまでの私たちは、そんな神様の愛から離れた状態にありましたから、私たちはこれまでの生き方を変えて、神様に愛され、神様を愛する生き方を選択する必要があるのです。
私たちが神様を愛しているかどうかという事は、私たちがどれだけ神様に従えるかという事で表すことができます。
神様を信頼し、それが最善であることを心から信じていなければ、私たちは従う事ができないからです。
3. 神様は聖霊を通して、私たちにみちびきを与えます。
ヨハネ8:47、10:3を読みましょう。
ヨハネ 6:44 わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
ヨハネ 14:26 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
聖書が教えるひとつの真理は、私たちの神様は、私たちに語られる神様だということです。
そしてもうひとつの真理は、人は神様の語り掛けを受け取り、応答する事ができるという事です。
聖書の中で、神様が人々にご自身を表される方法に決まった形はありません。
しかし人は、いつでもそれが神様であることを知る事が出来、その意味を明確に理解していました。
それでは、どうすれば神様の声を聞くことができるようになるのでしょうか?
① 神様は私たちの思いを通して語り掛けます。
ピリピ 2:13 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。
“祈りとは?”の回でもやりましたが、次のようにして神様の声に耳を傾けてみましょう。
- 神様の声を聞く前提条件として「どんな御心に対しても従う」という決意をする。
- 導きを求めている事に関して祈る。
- 静まる中で、心に思い浮かんだことが神様の導きである可能性が高い。
- 神様の導きは、私たちの願望とはまったく違う事が多い。
- そこで得た答えが、聖書の真理と矛盾していないかどうかを確認する。
② 神様は聖書の言葉を通して語り掛けます。
詩篇 119:105 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。
聖書は神様の言葉です。
ディボーションなどで聖書を読んでいる時に、ある御言葉が心に飛び込んでくるように感じたり、自分の今の状況と一致しているように思えたりして、神様に語り掛けられているように感じる事があります。
③ 神様は祈りを通して語り掛けます。
Iコリント 2:10 神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。
祈りは神様との対話です。
その対話の中で、神様が語り掛けられているように感じたり、私たちの思いが変えられます。
また、祈ったことに対して何かが起こったり、何も起こらない事を通しても、神様の御心がどこにあるのかを知る事ができる時もあります。
私達は神様の声に、注意深く耳を傾ける必要があるのです。
④ 神様は身の周りの出来事を通して語り掛けます。
ヨハネ 5:20 それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、あなたがたが驚き怪しむためです。
神様は時として、歩もうとする道を閉じられたり、新たな道を拓く事によって導くことがあります。
人との出会いや、アクシデントを通して、私たちが歩む道を示されることもあります。
しかし、私たちは目の前に起こる出来事を通してだけ神様の導きを知ろうとすべきではありません。
私達がその出来事を、正しく神様の視点で見る事が出来ているとは限らないからです。
必ず、祈り、御言葉を通して語り掛けられるようにも求め続けるようにしましょう。
⑤ 神様は教会を通して語り掛けます。
エペソ 4:16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。
教会はキリストのからだであり、私たちはその一部です。
からだの他の部分が何かを見たり、感じたりすることを通して、私たち体全体がなすべきことを示されることもあります。
そのためには、私たち教会が、愛の関係によってしっかりと結びついている必要があります。
そして互いに教え合い、互いに仕えあう事によって、教会はキリストのからだとして機能していく事ができるようになるのです。
アモス 3:7 まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。
神様が御心を示される時、私たちはある程度明確な形でそれを知る事ができるというのが、聖書の教えている事です。
もしも私たちが、神様の語り掛けに気が付かないでいるならば、それは神様との関係に、何か問題があるのかもしれません。
神様との愛の関係を深めましょう。
人ごみの中で親密な人の声だけは聞き分ける事ができるように、神様との関係がもっと親密になれば、私たちはより明確に神様の声を聞き分ける事ができるようになるはずです。
4. 神様の御心に従うためには信仰が必要です。
へブル11:6を読みましょう。
へブル 11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
私たちが神様の御心を知り、それに従おうとする時には、必ず信仰が求められます。
聖書の中でも、イエス様がみわざを行う時には必ず人々の信仰がありました。
でもそれは、神様が本当にみわざを表し、助けて下さるのでなければ大変な事が起こり、信仰そのものを失ってしまうような、信仰の危機を伴う大きな決断です。
そこで私たちは、神様を本当に信頼しているのか、それともそれは表面的なスタイルだけなのかという事が問われることになるのです。
私たちは、そのような危機的な場面で神様が働いてくださるのを見るからこそ、そこに神様のみわざがあったと知る事ができます。
神様に御業によって問題が解決されるのを体験した時、私たちは自分の力を誇る事ができません。
そこには神様の栄光だけが輝くことになるのです。
5. 神様のみわざに参加するためには、生き方を修正しなければなりません。
ルカ14:26~27、33を読みましょう。
ルカ 14:26 「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。
14:27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。ルカ 14:33 そういうわけで、あなたがたはだれでも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることはできません。
神様に従うために、私たちは方向転換する必要があります。
それは、罪人である私たちは神様の計画から常に離れた状態にあるからです。
私たちには自由意志が与えられているので、神様が私たちをロボットのように動かすのではなく、自分の思いや、自分の欲求、自分の計画を手放して、自ら神様の御心に従う事を選択する必要があるのです。
神様に従うという事は、私たちが生活を変えるという事ですから、そこには犠牲が伴う事もあります。
私たちが持っていたものを手放さなければならない事もあれば、と離れる事もあるかもしれません。
しかし、その先には私たちが自分の思いで行動していただけでは決して味わう事ができない、神様の素晴らしい計画を体験する事ができるのです。
6. 神様があなたを通してみわざを行われる事によって、あなたと神様のきずなはより深められます。
ヨハネ14:23を読みましょう。
ヨハネ 14:23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
神様が私たちを通して働いてくださるという経験を通して、私たちは神様を個人的に、そして現実的に知る事になります。
その体験が、私たちの信仰をより確かなものとし、愛の関係はより深まっていくのです。
そしてその体験が私たちの“証”となり、私たちの周りの人たちをも励まし、神様と出会うきっかけを作る事になるのです。
―考えてみましょうー
① 神様が、あなたの周りで働かれていると感じる出来事はありますか?
―考えてみましょうー
② 神様は、その出来事の中に招かれていると感じますか?
もし感じるなら、どのように人生を修正する必要があると思いますか?
―考えてみましょうー
③ そこに示された神様の御心に従ったら、どんな事が起こると思いますか?
コラム:<御心がわからない時>
「どれだけ祈っても神様からの答えが与えられない」という人は、神様に求めている事の方向性が間違っているのかもしれません。
間違った質問をすれば、正しい答えが与えられることはありえないのです。“御心の結婚相手”、“御心の学校”、“御心の仕事”について相談を受けたり、祈り求める声を聞くことがありますが、明確な導きが与えられない事もあります。
神様にとって、“相手が誰か?”とか“どこに行くか?”ということが大切ではない場合です。
多くの場合神様の関心は、私たちが“相手をどのように愛するか?”という事や、“その経験を通して何を学び、どのようにして神の国を広げていくか”という所にあります。
神様が、私たちが求めているのとは全然違う形で導きを与えていないかどうか、視点を変えて求めてみましょう。神様の御心を第一に求めるという事は、単に神様の指示を待つことではありません。
私たちには考えるための知能を与えられ、自分で決断する事ができる自由意志が与えられているのです。