第一コリント 6章 神の栄光のために生きる体(6:1-20)

背景

① 教会の聖さに関する教えの続き

5章では、

  • 教会内の不品行
  • 教会戒規
  • 共同体の聖さ

が扱われた。

6章ではさらに、

  • 信徒同士の争い
  • 性的不道徳
  • 信徒の体の意味

について教えられる。

② コリント社会の影響

コリントは、

  • 商業都市
  • 多神教都市
  • 道徳的に堕落した都市

として知られていた。

信徒たちは救われた後も、以前の価値観を完全には捨て切れていなかった。

③ 裁判問題と不品行問題

6章には大きく二つの問題がある。

  • 信徒同士の訴訟(1〜11節)
  • 性的不道徳(12〜20節)

どちらも共通して、「自分中心か、神中心か」が問われている。

④ 神に属する者としての生き方

パウロは、信徒の体そのものが神のものであることを強調する。

そのため信仰は心だけの問題ではなく、体の生き方にも現れなければならない。

ギリシア思想では魂が重要で、体はそれほど重要視されない傾向があった。

しかし聖書は体も神が造られたものであり、神の栄光のために用いるべきものと教える。

1. 信徒同士の裁判を戒める(6:1-8)

① 兄弟を異邦人の法廷へ訴える問題

信徒同士が争った時、教会の外にある裁判所へ訴えていた。

パウロはこれを厳しく戒める。

② 聖徒は世を裁く者となる

将来、神の民はキリストと共に治める者となる。

それならば、日常の問題を判断できないはずがない。

とパウロは語る。

③ 教会内で解決すべき問題

本来なら、教会の中の成熟した信徒たちが仲裁し、問題を解決すべきであった。

④ すでに敗北している

訴訟そのものが問題ではなく、互いに争い合っている事実そのものが霊的敗北である。

⑤ 損を受ける方を選ぶ

パウロは驚くべきことを語る。

「むしろ不正を受けなさい。」

それは弱さではなく、キリストの心に従う生き方である。

ここは社会的正義を否定する箇所ではない。

兄弟姉妹の関係を壊すような争いを戒めているのである。

2. 神の国を受け継ぐ者(6:9-11)

① 不義なる者は神の国を受け継がない

パウロは警告する。

神の国は、罪を愛し続ける生き方と両立しない。

② 列挙される罪

ここでは、

  • 不品行
  • 偶像礼拝
  • 姦淫
  • 盗み
  • 貪欲
  • 酩酊
  • 中傷
  • 略奪

などが挙げられている。

③ かつてはそのような者であった

重要なのは次の言葉である。

「あなたがたの中にも、以前はそのような人たちがいました。」

教会には罪人しかいない。

しかし、

救われた後もそのままではない。

④ 洗われ、聖なる者とされた

信徒は、

  • 洗われた
  • 聖なる者とされた
  • 義と認められた

のである。

⑤ 福音の力

パウロは、罪人が変えられることを証言している。

福音は単なる赦しだけではなく、人生を変える力である。

この箇所は過去の罪を責めるためではなく、キリストによる変化を強調するために書かれている。

3. 体は主のためにある(6:12-17)

① 「すべてのことが許されている」

コリント教会には、自由を誤解する人々がいた。

パウロは、自由が何をしてもよいという意味ではないと説明する。

② 有益かどうか

信徒は、「できるか」ではなく、「神に喜ばれるか」を考えるべきである。

③ 食物と体の違い

ある人々は、食欲と性的欲求を同列に扱っていた。

しかしパウロは、体は単なる欲望を満たすために存在するのではないと教える。

④ 主は体をよみがえらせる

神は主イエスを復活させられた。

同じように、信徒の体も復活する。

それゆえ体には永遠的価値がある。

⑤ キリストとの結合

信徒はキリストの体の一部である。

そのため、体を罪に用いることは、キリストとの結合を軽んじることになる。

キリスト教信仰は霊だけの救いではない。

体の復活を信じる信仰である。

4. 聖霊の宮としての体(6:18-20)

① 不品行から逃げなさい

パウロは、戦いなさいではなく、

「逃げなさい」

と命じる。

誘惑から距離を置くことが必要だからである。

② 体に対する罪

不品行は、特別に体を損なう罪として説明される。

それは神が与えられた体の目的を歪めるからである。

③ 聖霊の宮

有名な言葉が語られる。

「あなたがたの体は、あなたがたの内におられる聖霊の宮です。」

信徒の体は、

  • 神の所有物
  • 聖霊の住まい
  • 聖なる器

なのである。

④ 代価を払って買い取られた

信徒は自分自身のものではない。

キリストが十字架によって、尊い代価を払われた。

⑤ 神の栄光のために

結論は極めて明確である。

「あなたがたの体をもって神の栄光を現しなさい。」

信仰は礼拝堂の中だけではなく、日常生活の体の使い方に現れる。

ここでの中心テーマは「禁止」ではなく「所有権」である。

信徒の体は神のものだから、神の目的のために用いるべきなのである。

神学的意味

① 教会は和解と愛によって歩むべきである

  • 争いを避け
  • 兄弟姉妹を尊び
  • 一致を求める

べきである。

② 福音は人を変える

  • 赦しを与え
  • 新しい身分を与え
  • 新しい生き方へ導く

力である。

③ キリスト者の自由には責任が伴う

  • 何でも許されるわけではない
  • 有益かどうかが問われる
  • 神の栄光が基準となる

④ 体は神が重んじられるもの

  • 神が造られた
  • 神が贖われた
  • 神が復活させられる

ものである。

⑤ 信徒の体は聖霊の宮である

  • 聖霊が住まわれる
  • 神の所有物である
  • 聖なる目的のために用いられる

のである。

⑥ キリストの贖いは全人格に及ぶ

  • 魂だけでなく
  • 心だけでなく
  • 体をも含めて

救いの対象となっている。

⑦ キリストとの関係

キリストは、

  • 私たちを買い取ってくださった救い主
  • 復活の初穂
  • 教会の頭
  • 信徒の体の主

である。

信徒は自分自身のためではなく、キリストのために生きる者として召されている。

まとめ

  • 第一コリント6章は信徒の生活と体の聖さを教える章である。
  • 信徒同士の争いは教会の証しを損なう。
  • 神の国を受け継ぐ者は新しい生き方へ招かれている。
  • 福音は罪人を変える力を持っている。
  • キリスト者の自由には責任が伴う。
  • 体は単なる肉体ではなく神の目的のために与えられている。
  • 信徒の体は聖霊の宮である。
  • 信徒は代価を払って買い取られた者である。
  • 体の復活は信仰の重要な教理である。

「キリストによって贖われた信徒は、自分自身のためではなく神の栄光のために生き、体を聖霊の宮として尊びながら歩むべきである」