第一コリント 5章 教会の中の罪への対応(5:1-13)

背景

① 分裂問題から聖さの問題へ

1~4章でパウロは、

  • 分派争い
  • 高慢
  • 人間中心の考え

を取り扱った。

5章からは、教会内部に存在していた具体的な罪の問題へと話が進む。

② コリント教会で起きていた不品行

教会の中に、父の妻と関係を持っている人物がいた。

これは旧約律法でも禁じられており(レビ18:8)、異邦人社会の基準から見ても重大な罪であった。

③ 教会の誤った寛容

問題は罪そのものだけではなかった。

教会がその罪を放置し、

  • 嘆かなかった
  • 悔い改めを求めなかった
  • 高慢になっていた

ことである。

④ 教会の聖さを守る必要

パウロは教会を、キリストの体として見ていた。

そのため、公然と続けられる罪を放置することは、共同体全体に悪影響を及ぼすと警告する。

この章の目的は罪人を排除することではなく、罪からの回復と教会の聖さを守ることである。

第二コリント2章を見ると、この人物は後に悔い改め、赦しと回復を受けた可能性が高い。

1. 教会が見過ごしていた重大な罪(5:1-5)

① 公然と行われていた不品行

パウロは、

「あなたがたの間に不品行がある」

と指摘する。

その罪は、異邦人の中にも見られないほど深刻なものであった。

② 高慢になっていた教会

本来なら、

  • 悲しむべきであり
  • 嘆くべきであり
  • 対応すべきであった

しかし教会はそうしなかった。

③ パウロの判定

パウロは遠くにいても、

すでに判断を下したと語る。

それは罪を容認し続けることができなかったからである。

④ サタンに引き渡す

有名な難しい表現が登場する。

「そのような者をサタンに引き渡す」

これは滅びを願う意味ではなく、

  • 教会の交わりから外し
  • 罪の結果を自覚させ
  • 悔い改めへ導く

ための懲戒である。

⑤ 最終目的は救い

目的は、

「霊が主の日に救われるため」

である。

つまり裁きではなく、回復が最終目標なのである。

教会の戒規は罰ではなく治療である。

神の目的は常に悔い改めと回復に向けられている。

2. パン種のたとえ(5:6-8)

① 高慢は誤りである

パウロは、

「あなたがたが誇っているのは良くない」

と語る。

教会は寛容さを誇るべきではなく、聖さを求めるべきであった。

② わずかなパン種

パン種とは酵母のことである。

少量でも、

  • 生地全体に広がる
  • 全体へ影響する
  • 性質を変えてしまう

特徴がある。

③ 罪の影響

同じように、放置された罪は共同体全体へ影響する。

パウロは教会に警戒を促している。

④ 過越の祭りとの関連

パウロは過越の祭りの習慣を用いる。

祭りの前には、古いパン種を取り除いた。

これは罪を取り除く象徴であった。

⑤ キリストは過越の小羊

パウロは、

「私たちの過越の小羊であるキリスト」

と言う。

キリストが犠牲となってくださった以上、信徒もまた聖なる歩みへ招かれている。

ここでの「パン種」は罪の影響力を象徴している。

わずかな妥協でも共同体全体を弱らせる可能性がある。

3. 交際を避けるべき場合(5:9-13)

① 手紙の誤解

パウロの以前の手紙を読んだ人々は、「罪人との関わりをすべて断つべきだ」と理解した可能性があった。

② 世の人との関係

しかしパウロは、世の中の罪人から完全に離れることを求めてはいない。

そうでなければ、社会で生きること自体が不可能になる。

③ 教会の中の公然たる罪

問題は、「兄弟と呼ばれながら悔い改めようとしない者」である。

その例として、

  • 不品行
  • 貪欲
  • 偶像礼拝
  • ののしり
  • 酩酊
  • 略奪

などが挙げられる。

④ 教会の責任

教会は世を裁くために存在しているのではない。

しかし共同体の中については責任を持つ必要がある。

⑤ 教会から除く

パウロは最後に、悪しき者を取り除きなさいと命じる。

これは憎しみではなく、共同体を守り、罪人が悔い改めるための愛の行為である。

この教えは教会が完全主義になることを求めているのではない。

罪と戦いながらも悔い改めようとしない、継続的で公然たる罪を問題としている。

神学的意味

① 教会は聖なる共同体である

  • 神に属している
  • キリストの体である
  • 世と区別された民である

② 罪を放置してはならない

  • 見て見ぬふりをしない
  • 高慢な寛容に陥らない
  • 愛をもって対処する

必要がある。

③ 教会戒規には回復の目的がある

  • 処罰が目的ではない
  • 排除が目的ではない
  • 悔い改めと回復が目的である

④ キリストは過越の小羊である

  • 罪のために犠牲となり
  • 神の民を救い
  • 新しい生き方へ導かれる

方である。

⑤ 聖さと愛は対立しない

  • 愛だけでもない
  • 聖さだけでもない
  • 真理に基づく愛が必要である

⑥ 教会には自己吟味が必要である

  • 世を裁く前に
  • 自らを省みて
  • 聖さを追い求める

べきである。

⑦ キリストとの関係

キリストは、

  • 過越の小羊
  • 教会の頭
  • 聖なる共同体の主
  • 悔い改める者を回復される救い主

である。

教会はキリストの犠牲によって清められた民として歩むよう招かれている。

まとめ

  • 第一コリント5章は教会の中の罪への対応を扱う章である。
  • 教会内に重大な不品行が存在していた。
  • 問題は罪だけでなく教会の無関心にもあった。
  • パウロは愛をもって懲戒を行うよう命じる。
  • 懲戒の目的は悔い改めと回復である。
  • わずかなパン種は全体を膨らませる。
  • 罪を放置すると共同体全体へ影響する。
  • キリストは私たちの過越の小羊である。
  • 教会は聖さと愛の両方を保たなければならない。

「キリストによって贖われた教会は聖なる共同体として罪を軽視せず、愛をもって悔い改めと回復を求めながら神の聖さを守るべきである」