ルカ12:35-48 主を待ち望むしもべ

主の帰りを待ちながら生きる

前の段落でイエスは、富やこの世の心配ではなく神の国を第一に求めるよう教えられました。

続いてイエスは、

「では、そのように生きるとは具体的にどういうことなのか」

を語られます。

弟子たちは、いつ主が来られてもよいように備えながら生きるよう招かれています。

この箇所の中心テーマは、忠実に主を待つことです。


帯を締め、灯をともしていなさい

イエスはまず言われます。

「腰に帯を締め、灯をともしていなさい。」

当時、人々は長い衣を着ていました。

働く時や旅に出る時には、衣の裾を帯でまとめる必要がありました。

つまりこの言葉は、

「いつでも行動できるよう備えていなさい」

という意味です。

また灯をともすことは、夜の暗闇の中で主人の帰りを待つしもべの姿を表しています。

弟子は眠り込んでしまうのではなく、主を待ち望みながら目を覚ましているよう求められているのです。


帰って来る主人を待つしもべ

イエスは婚礼から戻る主人のたとえを語られます。

忠実なしもべたちは、主人が帰って来た時すぐに戸を開けられるよう準備しています。

そして驚くべきことにイエスは、

主人の方が帯を締め、しもべたちを食卓に着かせて給仕する

と言われます。

これは通常では考えられない光景です。

しかしここには神の国の恵みが表されています。

主を忠実に待ち望む者たちは、最終的に主によって豊かに報われるのです。


思いがけない時に来られる

続いてイエスは、

「人の子は思いがけない時に来る」

と教えられます。

泥棒がいつ来るか分かっていれば家を守ることができます。

しかし実際には、その時は分かりません。

だから常に備える必要があります。

ここで大切なのは、終わりの日の日時を計算することではありません。

いつ来られてもよいように生きることです。

神の国の民は、将来の主の再臨を意識しながら現在を生きるのです。


忠実なしもべと悪いしもべ

ペテロが、

「このたとえは私たちに語っておられるのですか。」

と尋ねると、イエスはさらに別のたとえを語られます。

主人は家全体を任せる管理人を立てます。

忠実な管理人は、主人がいない間も務めを果たし続けます。

そして主人が帰って来た時、その忠実さが認められます。

一方で悪いしもべは、

「主人の帰りはまだ先だ」

と考えます。

すると油断し、

仲間を支配し、

自分勝手な生活を始めます。

彼は主人が帰って来ることを忘れてしまったのです。


多くゆだねられた者の責任

イエスは最後に重要な原則を語られます。

「多く与えられた者は、多く求められる。」

神は人によって異なる責任や賜物を与えられます。

そして与えられたものに応じて責任も伴います。

ここで問われるのは成功ではありません。

忠実さです。

どれだけ大きな働きをしたかではなく、

主から託されたものをどう用いたかが問われるのです。


この箇所が私たちに語ること

現代の私たちは、主の再臨を忘れてしまいやすい時代に生きています。

日々の生活に追われ、

目の前のことだけに意識が向いてしまうことがあります。

しかしイエスは、

「目を覚ましていなさい。」

と語られます。

それは不安になりながら待つことではありません。

主が必ず来られることを信じて、今日を忠実に生きることです。

家庭でも、

職場でも、

教会でも、

神から任された務めに忠実であることが求められています。

そしてその忠実さを、主は必ず見ておられるのです。


この箇所の中心メッセージ

弟子は主の再臨を待ち望みながら、与えられた務めに忠実に生きるよう招かれている。

主は思いがけない時に来られるが、忠実な者を豊かに報いてくださる。

多く任された者には多くの責任が伴う。

「あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るのです。」(ルカ12:40)

「多く与えられた者はみな、多くを求められます。」(ルカ12:48)