ルカ20:20-40 反対者たちの挑戦
王を拒む人々への最後の呼びかけ
ぶどう園の農夫たちのたとえによって、宗教指導者たちはイエスが自分たちを指して語っていることを理解しました。
しかし彼らは悔い改めませんでした。
むしろイエスを陥れるために機会をうかがいます。
この段落では、
- パリサイ派の人々
- ヘロデ党の人々
- サドカイ人たち
が次々とイエスに挑戦します。
しかしそのたびに、イエスの知恵と権威が明らかになります。
そして問われているのは結局、神の国の王であるイエスにどう応答するか ということなのです。
カイザルへの税金
指導者たちは間者を送り込みます。
彼らはまずイエスを持ち上げます。
「先生、あなたが正しいことを語り教えておられることを知っています。」
しかしこれは罠でした。
そして尋ねます。
「カイザルに税金を納めることは律法にかなっているでしょうか。」
もし「納めよ」と言えば民族主義者の支持を失います。
もし「納めるな」と言えばローマへの反逆罪で訴えることができます。
彼らはイエスを追い詰めたつもりでした。
神のものは神に
しかしイエスはデナリ銀貨を見せて言われます。
「これはだれの肖像と銘か。」
彼らが、
「カイザルのです。」
と答えると、
イエスは有名な言葉を語られます。
「では、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい。」
イエスはローマへの服従を無条件に命じたのでも、反逆を勧めたのでもありません。
むしろ、この世の権威にはその範囲において従いなさい。
しかし最終的な帰属は神にある。
ということを教えられたのです。
銀貨にはカイザルの像があります。
しかし人間には神のかたちがあります。
それゆえ人は、自分自身を神にお返ししなければなりません。
復活を否定するサドカイ人
今度はサドカイ人たちが近づいて来ます。
彼らは復活を信じない人々でした。
そこで申命記のレビラト婚の規定を用いて、極端な例を持ち出します。
一人の女性が七人の兄弟と順に結婚し、全員が死んだという話です。
そして尋ねます。
「復活の時、その女性はだれの妻になるのですか。」
彼らは真理を求めて質問しているのではありません。
復活信仰を笑いものにしたかったのです。
復活後の世界
しかしイエスは言われます。
「この世の子らは妻を迎え、嫁ぎます。」
しかし、
「来たるべき世に入るのにふさわしいと認められた者たちは、めとることも嫁ぐこともありません。」
これは結婚が悪いという意味ではありません。
結婚はこの世で神が与えられた祝福です。
しかし復活の世界は、今の世界の単なる延長ではありません。
神の救いが完成した新しい創造だからです。
サドカイ人たちは、復活をこの世の仕組みの延長として考えていました。
しかしイエスは、神の国の完成はもっと大きな現実である と示されたのです。
神は生きている者の神
さらにイエスは出エジプト記を引用されます。
神はモーセに、
「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」
と言われました。
イエスはそこから、
「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。」
と結論づけられます。
アブラハムたちはすでに死んでいました。
しかし神は今も彼らとの関係を保っておられます。
それゆえ復活の希望は、人間の願望ではなく神ご自身の性質に根ざしているのです。
誰ももう質問できなかった
イエスの答えを聞いた律法学者たちは、
「先生。立派なお答えです。」
と言います。
そしてルカは、
「もはや何も質問する勇気がなかった。」
と記します。
敵対者たちはイエスを陥れようとしました。
しかしそのたびに、イエスの知恵と権威が明らかになりました。
問題は証拠ではありません。
受け入れるかどうかです。
それはこれまでルカ福音書で繰り返し示されてきたテーマでもあります。
この箇所が私たちに語ること
私たちは神とこの世の両方に仕えようとすることがあります。
しかしイエスは、
「神のものは神に返しなさい。」
と語られます。
私たち自身は神のものです。
また、この箇所は復活の希望についても教えています。
神の国の完成は、この世の改善版ではありません。
神がすべてを新しくされる世界です。
だから神の国の民は、今の世界だけを見て生きるのではなく、復活と神の約束を見据えて歩むことができるのです。
この箇所の中心メッセージ
神の国の民は、この世の権威を認めつつも、最終的には神に属する者として生きる。
また神は生きている者の神であり、復活の希望は神との永遠の関係に根ざしている。
イエスはその神の国の真理を明らかにする権威ある王である。
「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい。」(ルカ20:25)
「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。」(ルカ20:38)

