ローマ3章 信仰による義認(3:1-31)
背景
① ユダヤ人の特権への問い
2章でパウロは、
- 律法を持つこと
- 割礼を受けること
- ユダヤ人であること
それ自体では神の前に義とされないことを教えました。
そこで自然に、「ではユダヤ人であることに何の意味があるのでしょうか」という疑問が生じます。
② 全人類の罪の証明
ローマ1章では異邦人の罪、2章ではユダヤ人の罪が扱われました。
3章ではパウロが最終的に、すべての人が罪の下にあることを証明します。
③ 福音の転換点
ローマ書1〜3章前半は、人類の罪の問題を扱っています。
しかし3章後半から、救いの道が明らかにされます。
④ 本章の中心テーマ
ローマ3章の主題は、「人は行いによらず、信仰によって義とされる」ということです。
ローマ書全体の中でも、この章は福音理解の中心に位置しています。
ここで初めて「神の義」がどのように罪人へ与えられるのかが明らかにされます。
1. ユダヤ人の特権と神の真実(3:1-8)
① ユダヤ人の利益
パウロは、ユダヤ人には大きな特権があると認めています。
② 神のことばを委ねられた
最大の特権は、神のことばが託されたことです。
③ 不信仰は神を無効にしない
ユダヤ人の中に不信仰な者がいても、神の真実は変わりません。
④ 神は常に真実である
「たとえすべての人が偽り者でも、神は真実な方です。」
と語られています。
⑤ 神の義を利用できない
ある人々は、「人間の罪によって神の義が際立つなら、罪を犯してもよいではないか」と考えました。
⑥ その考えを否定する
パウロはそのような議論を厳しく退けます。
神は義なる裁き主です。
神の真実は人間の失敗によって損なわれません。むしろ神の誠実さが際立つのです。
2. すべての人は罪の下にある(3:9-20)
① ユダヤ人も異邦人も同じ
パウロは結論を述べます。
「ユダヤ人もギリシア人も、みな罪の下にあります。」
② 義人はいない
旧約聖書を引用しながら、
「義人はいない。一人もいない。」
と宣言します。
③ 神を求める者もいない
人類は堕落によって、自力で神へ向かうことができません。
④ 口の罪
人間の罪は、まず言葉に現れます。
- のろい
- 欺き
- 苦い言葉
が描かれています。
⑤ 行動の罪
さらに、
- 暴力
- 滅び
- 平和の欠如
が語られます。
⑥ 神を恐れない
罪の根源には、神への畏れの喪失があります。
⑦ 律法の役割
律法は人を義とするためではありません。
罪を明らかにするためです。
⑧ すべての口を閉ざす
律法の前で、誰も自分を弁護することができません。
ここでパウロは全人類を被告席に立たせています。
誰一人として自力で神の前に立てる者はいません。
3. 神の義の啓示(3:21-26)
① しかし今や
ローマ書最大の転換点が訪れます。
「しかし今や」という言葉によって、福音が語られ始めます。
② 律法とは別に現された義
神の義は、律法を守ることによってではなく現されました。
③ イエス・キリストへの信仰
その義は、イエス・キリストを信じるすべての人に与えられます。
④ すべての人が罪を犯した
有名な言葉が語られます。
「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず」
⑤ 恵みによる義認
しかし人は、無償で義と認められます。
⑥ キリストの贖い
その根拠は、キリストの十字架です。
⑦ 宥めのささげ物
神はキリストを、罪のための完全ないけにえとされました。
⑧ 神の義と愛の両立
十字架において、神は罪を裁きながら、罪人を救う道を開かれました。
ここはローマ書の中心であり、新約聖書全体の福音の核心です。
神は義を曲げることなく罪人を救われました。
4. 信仰による義認(3:27-31)
① 誇りは取り除かれる
救いが恵みによるのであれば、人間の誇りは存在しません。
② 行いではなく信仰
人は、律法の行いによらず、信仰によって義とされます。
③ 神はすべての人の神
神は、ユダヤ人だけの神ではなく、異邦人の神でもあります。
④ 救いの道は一つ
ユダヤ人も異邦人も、同じ信仰によって救われます。
⑤ 律法を無効にするのか
信仰による義認は、律法を否定するものではありません。
⑥ 律法を確立する
むしろ信仰によって、律法の本来の目的が明らかになります。
救いは完全に神の恵みによるため、人間は誰も誇ることができません。
すべての栄光は神に帰されます。
神学的意味
① 全人類は罪の下にあります
- ユダヤ人も
- 異邦人も
- 宗教的な人も
罪の支配下にあります。
② 律法は救うためではなく罪を示します
- 人を義としません
- 罪を明らかにします
- 救いの必要を教えます
律法は人を救うためではなく、人が救いを必要としていることを示します。
③ 神の義は福音の中に現されました
- 人間の努力によるのではなく
- 神の賜物として
- 与えられます
義は神から与えられる恵みです。
④ 義認は恵みによります
- 功績によらず
- 行いによらず
- 神の恵みによります
救いは完全に神の恵みに基づいています。
⑤ 十字架は救いの中心です
- 神の義が現れました
- 神の愛が現れました
- 救いが完成しました
十字架は福音の中心そのものです。
⑥ 信仰は救いを受け取る手です
- 働きではありません
- 功績でもありません
- 神の賜物を受け入れる応答です
信仰は救いの原因ではなく、救いを受け取る手段です。
⑦ キリストとの関係
キリストは、
- 神の義を現されたお方
- 十字架で贖いを成し遂げられたお方
- 宥めのささげ物となられたお方
- 信じる者を義としてくださる救い主
です。
ローマ3章は、人間の絶望的な罪の状態を示した後、キリストにある救いの道を初めて明確に示しています。
ここからローマ書は「罪の問題」から「救いの恵み」へと進んでいきます。
この箇所が私たちに語ること
① 私たちは皆、神の前では罪人
ローマ3章でパウロは、
「義人はいない。一人もいない。」
と語っています。
私たちは他人と比較して自分を正しいと思うことがあります。
しかし神の基準の前では、すべての人が罪を抱え、救いを必要とする存在です。
まず自分の状態を正しく認めることが、福音を受け入れる第一歩となります。
② 自分の力では神の前に立てない
律法は神の基準を示してくれますが、人を救うことはできません。
むしろ私たちの罪を明らかにします。
人は努力や善行によって神に受け入れられるのではなく、神の恵みを必要としているのです。
③ 救いは神からの無償の恵み
ローマ3章の中心は、
「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるのです。」
という福音の宣言です。
救いは報酬ではなく贈り物です。
私たちは受けるに値しない者でしたが、神は恵みによって救いを与えてくださいました。
④ 十字架は神の愛と正義を示している
神は罪を見逃されるお方ではありません。
しかし同時に罪人を愛しておられます。
十字架において、神の正義と愛は完全に現されました。
キリストが私たちの代わりに罪の代価を負ってくださったからです。
⑤ 誇るところは何もない
もし救いが行いによるなら、人は自分を誇るでしょう。
しかし救いが信仰による恵みであるため、誰も自分を誇ることはできません。
信仰者にふさわしい姿勢は、高慢ではなく感謝と謙遜です。
⑥ 信仰によって神との関係が回復される
ローマ3章は、人が神との正しい関係に入る道を示しています。
それは宗教的な努力ではなく、イエス・キリストを信じる信仰です。
神は今も、信じる者を義と認めてくださいます。
⑦ 福音はすべての人の希望
パウロはユダヤ人も異邦人も同じように罪の下にあることを示しました。
同じように、救いもまたすべての人に開かれています。
どのような過去を持つ人であっても、キリストにある救いの恵みにあずかることができるのです。
この章の中心メッセージ
すべての人は罪を犯し、自分の行いによって神の前に義とされることはできません。
しかし神は、イエス・キリストの十字架による贖いを通して、信じる者を無償で義と認めてくださいます。
ローマ3章は、人間の救いが完全に神の恵みによるものであり、信仰による義認こそ福音の中心であることを宣言しています。
「人は律法の行いとは関わりなく、信仰によって義と認められると私たちは考えるからです。」(ローマ3:28)

