ローマ4章 アブラハムの信仰(4:1-25)

背景

① 信仰による義認の実例

ローマ3章でパウロは、

  • すべての人は罪人である
  • 人は行いによらず信仰によって義とされる

ことを教えました。

4章ではその教えを、旧約聖書の実例によって証明しています。

② ユダヤ人の誇りであったアブラハム

ユダヤ人にとってアブラハムは、民族の父であり、最も尊敬される信仰者でした。

もしアブラハム自身が信仰によって義とされたなら、すべての人も同じ原則によって救われることになります。

③ 旧約と新約の一致

パウロは、信仰による義認が新しい教えではなく、すでに旧約聖書の中に示されていたことを明らかにします。

④ 本章の中心テーマ

ローマ4章の主題は、「アブラハムは行いではなく信仰によって義とされた」ということです。

ローマ4章は、信仰による義認がパウロの独自理論ではなく、神が最初から示しておられた救いの原則であることを証明する章です。

1. アブラハムは何によって義とされたのでしょうか(4:1-8)

① アブラハムの場合

パウロは問いかけます。

「私たちの先祖アブラハムは何を得たのでしょうか。」

② 行いによるなら誇ることができる

もしアブラハムが行いによって義とされたなら、彼には誇る理由があります。

③ 聖書の証言

しかし創世記15:6には、

「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた。」

と記されています。

④ 働きと恵みの違い

働いた人への報酬は、恵みではなく当然の支払いです。

⑤ 信じる者への義認

しかし神は、行いによらず信じる者を義とされます。

⑥ ダビデの証言

パウロは詩篇32篇も引用します。

⑦ 赦された人の幸い

罪を赦され、神によって義と認められる人は幸いです。

アブラハムもダビデも、救いが行いではなく神の恵みによることを証言しています。

2. 割礼より前に与えられた義(4:9-12)

① この祝福は誰のものか

パウロは、義認の祝福がユダヤ人だけのものかを問いかけます。

② 義と認められた時

アブラハムが義と認められたのは、創世記15章です。

③ 割礼は後で与えられた

割礼が命じられたのは、創世記17章です。

④ 義認が先であった

つまりアブラハムは、割礼を受ける前に義とされました。

⑤ 異邦人の父

そのため彼は、すべての信じる異邦人の父となります。

⑥ 割礼を受けた者の父

また、信仰によって歩むユダヤ人の父でもあります。

救いは外面的な儀式によるのではなく、神への信仰によるのです。

3. 約束は律法ではなく信仰によります(4:13-17)

① 約束の根拠

アブラハムへの約束は、律法によって与えられたのではありません。

② 律法はまだ与えられていない

アブラハムの時代には、モーセの律法そのものが存在していませんでした。

③ 律法によるなら信仰は無意味

もし律法が救いの条件なら、約束は無効になってしまいます。

④ 信仰による恵み

神は信仰によって、約束を確かなものとされました。

⑤ 多くの国民の父

神はアブラハムを、多くの国民の父として定められました。

⑥ 死人を生かされる神

神は、死人を生かし、無いものを有るものとして呼び出されるお方です。

信仰は人間の可能性を見るものではなく、神の約束と力を見るものです。

4. アブラハムの揺るがない信仰(4:18-22)

① 希望のない中で信じた

アブラハムは、人間的には希望がなかった中で信じました。

② 高齢であった

彼はすでに百歳近くであり、サラも子を産めない状態でした。

③ 不信仰に陥らなかった

状況を見て絶望することなく、神の約束に立ち続けました。

④ 神の力を確信した

神が約束されたことは、必ず実現すると信じていました。

⑤ 神に栄光を帰した

彼の信仰は、神の栄光を高くするものでした。

⑥ 義と認められた

その信仰が、義として認められたのです。

アブラハムの信仰とは、自分の力を信じることではなく、神の約束に全幅の信頼を置くことでした。

5. 私たちにも与えられる義(4:23-25)

① アブラハムだけの話ではない

「義と認められた」という言葉は、アブラハムのためだけに書かれたのではありません。

② 私たちのためでもある

神は、信じる者すべてを義と認めてくださいます。

③ 復活の神を信じる

私たちは、イエスを死人の中からよみがえらせた神を信じています。

④ キリストの死

イエスは、私たちの罪のために引き渡されました。

⑤ キリストの復活

イエスは、私たちを義とするためによみがえられました。

⑥ 福音への結論

アブラハムの信仰と、キリストを信じる信仰は同じ原理の上に立っています。

旧約の信徒も新約の信徒も、同じ信仰によって神の前に義とされるのです。

神学的意味

① 義認は信仰によります

  • 行いによるのではありません
  • 功績によるのでもありません
  • 信仰によります

神は信じる者を義と認めてくださいます。

② 救いは神の恵みです

  • 報酬ではありません
  • 賞でもありません
  • 神からの贈り物です

救いは人間が勝ち取るものではなく、神から与えられる恵みです。

③ 外面的儀式は救いません

  • 割礼ではありません
  • 宗教的形式でもありません
  • 神への信頼が重要です

神が見ておられるのは心の信仰です。

④ 神の約束は確実です

  • 人間の限界を超えます
  • 不可能を可能にします
  • 必ず実現します

神の約束は決して失敗することがありません。

⑤ 信仰は神の力を信頼することです

  • 現実を見るだけではありません
  • 神の約束を見つめます
  • 神に期待します

信仰とは神の真実さに寄り頼む生き方です。

⑥ 復活は義認の保証です

  • キリストは死なれました
  • よみがえられました
  • 信じる者を義としてくださいました

復活は救いが完成したことの証しです。

⑦ キリストとの関係

キリストは、

  • 私たちの罪のために死なれたお方
  • 私たちを義とするためによみがえられたお方
  • アブラハムへの約束を完成されたお方
  • 信じる者を義としてくださる救い主

です。

ローマ4章は、アブラハムの信仰を通して、神の救いが最初から最後まで恵みによるものであり、信仰によって受け取られることを明らかにしています。

この箇所が私たちに語ること

① 信仰は神の約束を信頼すること

アブラハムは、自分の状況を見るなら希望を持てない状態にありました。

しかし彼は、自分の力ではなく、神の約束に目を向けました。

信仰とは、見える状況よりも神のことばを信頼することです。

② 救いは行いではなく信仰による

ローマ4章でパウロは、アブラハムが義と認められたのは行いによってではなく、信仰によってであったと説明しています。

私たちも神の前に受け入れられるのは、自分の功績によってではなく、キリストを信じる信仰によるのです。

③ 神は不可能を可能にされる

アブラハムとサラは、子どもを持つ望みが人間的には絶たれていました。

それでも神は約束を実現されました。

私たちが限界や不可能を感じる時にも、神にはできないことがないことを覚える必要があります。

④ 神の約束は状況によって左右されない

アブラハムは、現実だけを見れば失望するしかありませんでした。

しかし彼は神の真実に目を向け続けました。

神の約束の確かさは、私たちの環境ではなく、神ご自身の真実さに基づいています。

⑤ 信仰は神に栄光を帰する

アブラハムは信仰によって神をあがめました。

本当の信仰は、自分の力を誇るのではなく、神の力と真実さを認めることです。

信仰生活の中心には、いつも神への栄光があります。

⑥ アブラハムの信仰は私たちの模範

パウロは、アブラハムについて書かれたことが私たちのためでもあると語ります。

彼が信じた神と、私たちが信じる神は同じ神です。

私たちもアブラハムのように、神の約束を信頼して歩むよう招かれています。

⑦ 私たちの信仰は復活の主に向けられている

アブラハムは命を与える神を信じました。

そして私たちは、イエスを死者の中からよみがえらせた神を信じています。

キリストの復活こそ、神の約束が確かなものであることの最大の証拠です。

この章の中心メッセージ

アブラハムは行いによってではなく、神の約束を信じる信仰によって義と認められました。

同じように、私たちもイエス・キリストを信じる信仰によって神の前に義とされます。

ローマ4章は、救いが人間の努力ではなく神の恵みによるものであり、信仰による義認が旧約から一貫した神の救いの方法であることを示しています。

「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた。」(ローマ4:3)