2012-10-07 / 最終更新日時 : 2017-10-13 crossroads メッセージ 『 Messy Church ⑥ 適切な関係を築く教会 』 2012/10/07 松田健太郎牧師 Iコリント 13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、 13:6 不正を喜ばずに真理 […]
2012-09-30 / 最終更新日時 : 2017-10-13 crossroads メッセージ 『 Messy Church ⑤ 寛容で親切でねたまない教会 』 2012/09/30 松田健太郎牧師 Iコリント 13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 Messy Churchというシリーズでお話をしてきています。 教会というのは、どうも罪のない美しい人たちの集ま […]
2012-09-23 / 最終更新日時 : 2017-10-13 crossroads メッセージ 『 Messy Church ④ 絶える事のない愛の教会 』 2012/09/23 松田健太郎牧師 わたし達の教会は、Messy Churchです。 これまでそのようにお話をしてきましたが、Messy Churchという概念はそろそろ皆さんの中に定着してきたでしょうか? 同じことの繰り返しになりますが、今日始めて聴く方 […]
2012-09-16 / 最終更新日時 : 2017-10-13 crossroads メッセージ 『 Messy Church ③ 愛で結ばれた教会 』 2012/09/16 松田健太郎牧師 「わたし達の教会は、Messy Churchです。」という話を、これまで2週間の間にしてきました。 Messy Churchの“Messy”という言葉は、きたないという意味の英語で、きたない教会とう事です。 でもそれは、 […]
2012-09-09 / 最終更新日時 : 2017-10-13 crossroads メッセージ 『 Messy Church ② 健康な家族としての教会 』 2012/09/09 松田健太郎牧師 先週に引き続き、Messy Churchについて一緒に考えていきたいと思います。 Messy Churchとは何でしょう? Messyというのはきたないという意味の英語で、きたない教会とう事です。 でもそれは、掃除をして […]
2012-09-02 / 最終更新日時 : 2017-10-13 crossroads メッセージ 『 Messy Church ① 主にある家族としての教会 』2012/09/02 松田健太郎牧師 さて、私たちは使徒の働きの中で、教会について多くの事を共に学び、考えてきました。 ここから使徒の働きは、パウロに焦点が当てられて、パウロの宣教活動に着いて多く描かれていくようになります。 その前に、私たちはもう少し教会に […]
2012-08-26 / 最終更新日時 : 2017-10-10 crossroads メッセージ 使徒12:6-16 『使徒⑱ 教会が祈る時(下)』 2012/08/26 松田健太郎牧師 使徒12:6~16 12:6 ところでヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を監視していた。 12:7 すると突然、主の御使いが現われ、光が […]
2012-08-19 / 最終更新日時 : 2017-10-10 crossroads メッセージ 使徒12:1-5 『使徒⑰ 教会が祈る時(上)』 2012/08/19 松田健太郎牧師 使徒12:1~5 12:1 そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、 12:2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。 12:3 それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕えにか […]
2012-08-12 / 最終更新日時 : 2017-10-09 crossroads メッセージ 使徒11:19-26 『 使徒⑯キリスト者と呼ばれて 』 2012/08/12 松田健太郎牧師 使徒11:19~26 11:19 さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。 11:20 と […]
2012-07-29 / 最終更新日時 : 2017-10-04 crossroads メッセージ ルカ19:11-25 『 ミッションの発見と賜物の活用 』 2012/07/29 小西孝蔵 ルカによる福音書19章11節~25節 19:11 人々がこれらの言葉を聞いているときに、イエスはなお一つの譬をお話しになった。それはエルサレムに近づいてこられたし、また人々が神の国はたちまち現れると思っていたためである。 […]